日本初公開は2008年7月。だから、これはリバイバル上映となる。監督のロウ・イエは本作で中国国内での上映や映画制作を禁止されたということが知られているが、そんなこともあり、最初の配給では、「頤和園(いわえん)」というタイトルに「天安門」という副題を大きくし、宣伝に利用したのだろう。ちなみに、頤和園は、北京市北西部にある庭園公園。周囲には、北京大学をはじめ多くの大学がある。いわば、彼らが散歩をしたり愛を語らったりする、ある種象徴的な場所かもしれない。

 ロウ・イエ監督の作品は極めて、エロスに満ちている。むしろ天安門事件は登場人物の時代背景でありテーマではない。その事件当時大学生だった東北部出身で、性的に奔放な美しいユー・ホンと、学生間でハンサムと言われるチョウ・ウェイとの性愛の物語だ。

 ここで「恋愛」と書かず「性愛」と表現するのは、ロウ・イエの表現主体が、まずは性にあるからだ。だからどこか神代辰巳の映画のようでもある。映画全体の2/3を過ぎたあたりから、天安門事件後の二人のことが描かれていく。時代も大きく変化する。ベルリンの壁が取り壊され、ソビエト連邦は解体する。中国の青年たちにとっては大きな変化だが、本作ではそのあたりは、簡単なテロップだけで、どこまでも「性と愛」にこだわっていく。このあたり、ロウ・イエの作家性かも知れない。検証するには、もう一度「パリ、ただよう花」から始めなければならない。

 本作で扱われる天安門事件は、まるで日常の閉塞感から抗議のトラックに、まるで祭に出かけるように乗り込む大学生たちと、その後、国によって愛国教育の一環としての軍事訓練に参加するチョウ・ウェイら学生が、少しばかり写されるだけで、民主化を求める議論などはなく、彼らは「性愛」のみ。しかし、そのことを批判しているのではない。

 本作の「人間は孤独を求め、死に憧れる。でなければなぜ愛する人を傷つけられるのか」というHPのコピーは、本作に出てくるモノローグである。あるいは、劇中のセリフには「愛することは傷つくこと。傷が治れば、愛は消える」だって。なんか深いようで・・やや詭弁でもある。それを聞いたチョウ・ウェイが「ありえない」と否定するあたり、観客に自分として対応することを求めていく。

 ラストシーンのユー・ホンとチョウ・ウェイ。この行動が面白くて深い。ユー・ホンにハオ・レイ。チョウ・ウェイにグオ・シャオドン。

 最後に初回公開時のポスターのコピーは「1989年6月。自由を求める炎の中で、私はあなたに夢中だった」である。今回のデジタル化は、オリジナルネガからのものではないらしく、暗すぎる部分が以前より鮮明に見える!ってことはない。残念。

 2024年6月リバイバル公開。