幼い娘がある日突然帰ってこない。公園から家までの数百メートルの間に消えてしまったのだ。あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていたところから本作は始まる。

 娘の無事を待ち続けるも両親だが、少しずつ世間の関心が薄れていく。小さなことや、夫の言葉のいくつかに反応してしまう妻。傷つきながらも耐えなければならない夫。娘がいなくなった日、妻はたまたま、弟に娘を預けて、アイドルのライブに出かけていて、そのことも彼女の負い目になっていく。頼るのは唯一取材を続けてくれる地元テレビ局のディレクター砂田だ。

 SNSでは、誰が犯人だとか、ライブに行っていた妻を中傷する書き込みなどが酷くなってくる。さて、そんな日々を丹念に見つめていくのが本作だ。ここに「見つめていく」と書いたのは、言葉で説明したり、綺麗ごとで解決できる問題ではないからだ。

 そう、SNSで日常の身勝手な正義感を満足させたい弱者、報道と言う名のもとに暴力をふるっているのは自分達ではないか?と悩むTV局員。あるいはこの悲しみに耐えるしかないし、娘にたどり着けない怒りをどこにも向けられない両親。まさに「悪は存在しない」のである。

 娘を探す母・沙織里に石原さとみ、夫に青木崇高。テレビディレクターに中村倫也らが好演している。特に、突然の理不尽な悲しみと、情報がなく(あってもいい加減なもの)娘の存在すら忘れられていくような怒りを体現する、いわば「悲しみのモンスター」へと変容する石原さとみの演技には魅せられる。砂田とのロングインタビューのシーンでは、彼女の鼻だけが充血し、内面からの渾身の演技を見ることができる。

 また、最初から少し怪しく感じる弟の森優作も彼以外に考えられないキャスティングだ。

 監督・脚本は𠮷田恵輔。東京ビジュアルアーツ在学中から自主映画を制作する傍ら、塚本晋也監督作品の照明を担当したというツワモノ映画作家。企画に河村光庸の名もある。2022年6月に亡くなったが、「新聞記者」「茜色に焼かれる」や「月」などのプロデューサーだ。面白くない訳がない。人物たちの内面を大切にする映画だが、次々と心が揺さぶられるようなシナリオ的な配慮もされていて面白い。まあ、ラスト少しくどい部分もあるけれど、それがないと観た気がしないという観客への心遣いだろう。

 普段、こういったシネコン系のメジャー作品を紹介することはないが、その辺のテレビドラマの画面が大きくなっただけのペラペラの日本映画じゃないので是非!というところ。