本作は、クリストファー・ノーラン監督の1998年の長編第1作。「オッペンハイマー」の公開を受けて、HDレストア版として公開されたもの。約70分の長編映画。自主映画かと思わせるよう16mmモノクロ映画で、制作費はわずか6,000ドルという。私にとってノーラン作品は「メメント」から始まるのだが、同じ単館系劇場で23年ぶりの上映という事で、懐かしさもあり、映画作家の変遷を知りたくて鑑賞。

 なるほど、ノーランらしく映画を面白くみせる工夫として、時系列を一方向ではなく、バラバラに提示して、次第に事の顛末が観客に分るという形。

 内容は、作家志望のビルという青年が、創作のヒントを得るため、街で目に止まった人々を尾行する。しかし、その男に気づかれてしまうのだが、彼も他人のアパートに不法侵入しては、他人の私生活を覗き、さらに盗難もするあやしい人物。ビルはその男に感化される。数日後、彼と共にアパートに侵入したビルは、そこで見た写真の女性に興味を抱き、その女性の尾行を始める、というもの。

 何だかそそられる話だが、初期のノーランは、結局、誰が悪者で、誰がはめられたかという結論を用意してしまう。バラバラの情報が観客の脳の中で、シナプスが結ばれていくような喜びを感じさせながら(これは新しい映画の偉大なる方法)、古くさい80年ほど前の「誰が悪者?」を満足させてしまう。

 ここからはノーラン的映画の考察だが、本作に続く「メメント」では、短期間しか記憶が保てない主人公の犯人探しに観客を付き合わせる。観客は主人公の脳の中の追跡者にされる。面白くドキドキするのだが、結局、結論をぼかしただけで観客を構造の面白さから次の世界に連れて行ってはくれない。

 その後、ノーランは、「バットマン」シリーズの後、「インセプション」では、夢の中に入り込んだ心理サスペンスを展開するが、こんな映画なかったな!という事でしかなく、ラストにある種のスリラー的恐怖を加えているにすぎない。

 そして、「インターステラー」。この映画で、三次元における不可逆性の時間と重力場、相対性理論など、頭が痛くなる科学的考証を用いた演出で、父親が宇宙へ行く前の幼い娘が感じていた本棚の後ろの幽霊。それは、時空を超えた存在となった父親。彼は娘に愛をつたえるという、切ない物語を獲得している。「誰が悪者?」という映画からあっという間に80年、映画を進化させ、IMAX超大作「ダンケルク」では、誰が死ぬかは偶然であり、生きることも同じという状況の中で、生き残った後の、故郷イギリスで配られる白い食パンとたっぷりのバターに「生」喜びを感じさせるという、根源的な人間の喜びを表現して見せた。

 もちろん「オッペンハイマー」においても、二人の人物の回想型式を駆使して、あえて混乱させる方法をとるが(分かった時の脳の喜びのため)、オッペンハイマーの過ごす時間は不可逆的に進んで行く。

 ノーラン作品は、「フォロウィング」から見直していけば、ノーランにとっての映画の進化が見えて来て面白い。

 2024年4月公開。