スリリングでドキドキする映画だ。フランス北部の地区を舞台に映画が企画され、地元の少年少女を集めた公開オーディションが行われ、(ということになっている)撮影の過程そのものを映画の内容にし、演技未経験の問題児たちの内面を見せていく映画だ。

 本作はキャスティングと演技コーチの経歴を持つリーズ・アコカとロマーヌ・ゲレが共同監督を務め、2022年カンヌ映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞した。

 ビッチと女子からさげすまれるリリ、怒りをコントロールできないライアン、心を閉ざしたマイリス、出所したばかりのジェシーの4人のティーンエイジャーたちが物語の中心だ。そこに、この映画の監督役のベルギーの俳優ヨハン・ヘルデンベルグやスタッフの大人たちが係わる。

 映画の最初、へたくそなカメラが撮影するインタビューから始まり、この映画の信憑性を見せながら、徐々にシナリオ的なまとまりのある物に変化していく。常に3カメくらいで撮影される画面は、彼らの表情から内面の小さな変化までもあきらかにする。まさに映画の面白さだ。よくぞまあ、こんな映画を創ったものだと感心するばかりだが、幾つかの疑問点や批評点が残ってくる。

 一つは、彼らの情動を見事に捉える部分に対し、シナリオ的に必要な諍いのシーンがやや雑に感じる。例えばリリは役名であるが、町で彼女だけが映画スタッフにちやほやされることに嫉妬したのか、女子たちが言いがかりをつける場面がある。彼女たちは呼び止める「リリ!」え?リリは役名でしょ?何だ、このシーンも演出なの?とばれてしまう。

 また小さな町の物語でも、ここで苦しんでいる少年少女たちは、世界の現状とつながっているはずだ。そのあたりの折り込み方が、あくまでも「彼ら」という扱いが寂しい。

 ただ、映画の生々しさは半端ではない。町の人々が「問題のある子ばかりでなく賞をとったりする、いい子もいるのに」であったり、もっと綺麗なところを撮りなさい的な発言は、映画スタッフであれば、よく耳にする言葉だ。だから、私のように映画を創った事のある人間には色んな過去を思い起こさせる。現実と虚構を行き来する面白さ、そして、虚構を演じることで、現実の自分の内面と出会うことのスリルを感じるのは私だけだろうか。

 俳優という人は役を読みこみ、演じる手段として役を深堀する。そこにあるのは、きっと虚構の人物ではない。そんな面白さを見せる映画も多くある。

 「アシスタント」を撮ったキティ・グリーン監督の「ジョンベネ殺害事件の謎」では、美少女ジョンベネ事件を描く映画として、オーディションで俳優たちが語る、役への深堀から、殺人事件の真相ではなく、俳優の心の世界を見せようとした。(それは優れた創作行為でもあった)

 古い映画もついでに。寺山修司監督作品「書を捨てよ町へ出よう」では、インタビューを取り入れた作品だったが、主人公英明は映画への思いを語り、映画から現実へと去っていく。また、岩佐寿弥監督は「叛軍No.4」で反軍体験を語る講演会で、ドキュメンタリーを覆してしまう。「演じることをやめた時、本当の私はあるのか?」という問いを執拗に投げかける。

 さらに古くはドキュメンタリー的手法による羽仁進監督の劇映画「不良少年」がある。これも素人の少年を起用した作品だ。

 映画には多くの形がある。世界の映画製作者たちは、異質な映画に注目し、作品を共有しながら成長していっているように思える。このような作品が多く生まれることと、私自身がそんな映画と出会えることを切に願いたい。

 最後に、二人の監督の言葉を「私たちは映画のリアリズムに強い関心があり、常に現実との接点を探します。『最悪な子どもたち』の出発点の一つは、なぜ映画は今回私たちが撮影したような環境の子どもたちに惹かれがちなのか、という問いでした。学歴や背景は関係ありません。天性の才能はすべての社会階層を飛び越えます」とのこと。

 映画の最後に本当の演技の喜びを感じた少年の表情には、恥ずかしながら「感涙」した。

 2024年1月公開(関西)