2022年東京国際映画祭「アジアの未来」部門では「クローブとカーネーション」のタイトルで上映された作品。監督はトルコのベキル・ビュルビュル。亡き妻を埋葬するため棺を背負って歩き続ける老人とその孫娘の旅を不思議なトーンで描いている。
トルコ映画というと、「裸足の季節」や「雪の轍」「読まれなかった小説」「蜂蜜」など映画祭で話題となる作品が多くあるが、その次世代とも言える監督の長編2作目。
映画を観て、この作品のオリジナリティに触れた時、観客はある種の戸惑いを感じながらも、長く映画の記憶に浸ることができる。「友だちのうちはどこ?」アッバス・キアロスタミや「エレニの旅」のテオ・アンゲロプロスとも違う面白さは、リアリズムと寓話という観点から考えるとアピチャートポン・ウィーラセータクンの映画に近い戸惑いだ。
本作の主人公はトルコ語が話せない老人とトルコ語の通訳は出来るが、ほとんど喋らない少女と棺桶の中の老人の妻の遺体だ。
映画は前半、ほとんどセリフはない。最初に出会う羊飼いはろうあ者である。観客はセリフで説明されない世界と対応する。次第に、言葉を話す人と出会うようになるが、旅は過酷だし、観客にとっても忖度のない映画づくりだ。と書いてみたが、よく考えると、日常を引きずって映画を観る観客に、本作を感じてもらうための、ある種の方法論とも言える。
それは、少女の描くスケッチ画や不可思議な夢の描写、いきなりの雪景色、乗せてもらったトラックを運転する親切な女性の言葉やトレーラーのラジオから聞こえる言葉など、小出しにされる情報から、状況を観客が次第に理解していく形式だ。
少女には何故両親がいないのだろう?と考えてみると(映画では触れられない)シリアの内戦に目が向く。シリアはアラビア語だから、老人がトルコ語を話せないのも合点がいく。これは想像だが、少女は内戦で両親を亡くしていて、祖父祖母に連れられて難民としてトルコに来たのかも知れない。
そのことに気がいくと(別の解釈もあるかも)色んな事が急に輝きだす。少女が越えられない国境のフェンスから見える世界(ラストシーン)は、少女の希望なのかも知れない。
この映画には、幾つかのキーワードが内在している。公式HPから引用する。「一生は短いのさ。気づいたら終わってしまうものだけど、ただ穏やかでいることが大切なんだ」や「星の光が届くのに5000年かかるなら、500年後に忘れられる本を書く我々人間の行動の意味を考えてみたい」「仮にあなたの子孫が1000年続いたとしても、 誰もあなたに感謝しないし、そもそも認識すらしない」何だか考えさせられる言葉だ。
老人役にトルコの俳優、デミル・パルスジャン。少女に実際に戦争のため2017年にトルコに移住してきたシャム・セリフ・ゼイダン。
言葉でテーマらしきことを述べて良い映画ぶる作品に慣れた観客にガツンと「?」を投げかけてくれる映画だ。配給会社の気合を感じさせる2種類のチラシ。そのチラシのコピーも優れている。「天国のお母さん、これが世界のすべてなの?」
トルコ語の原題は、「クローブをひとつまみ」、グローブはチョウジノキの香りのよい花蕾。殺菌力があるらしい。またカーネーションはクローブの香りがすると言う。
少し難解な映画だが、是非観てほしい映画だ。
2024年1月公開。