ソフィア・オテロが主人公の少年を演じ、第73回ベルリン国際映画祭において、当時9歳にして史上最年少で最優秀主演俳優賞を受賞した話題作。2023年からベルリン国際映画祭でも男優賞、女優賞を廃止し、俳優賞に統合した記念すべき年に、ソフィアが受賞したというのは意味があるだろう。(ソフィアは女性の名前だけれど)

 という枠の話はやめて映画について。夏のバカンスでスペイン、バスク地方にやってきた家族の物語だ。家族と言っても、母親の出身地への里帰りで、3人の子どもを連れている。父親はフランスに残り仕事をしている。どうやらこの夫婦、あまりうまくいっていない。

 モヤモヤしているのは夫婦間だけではなく、母親と祖母の関係もトゲトゲしい。そんな中、もっと切実に悩んでいるのが、末息子のアイトール、通称ココである。ココはココと呼ばれることを嫌がり、髪を伸ばし、8歳にして自分の性自認が分からず、違和感と居心地の悪さを抱えて心を閉ざしている。それが反抗期のようにも見えている。

 そういったクィア(Queer)な感覚をもったままの夏の体験なのだが、悩みだけを単純に問題提起した映画ではない。静かな田舎の生活の中に見え隠れする、祖母と母親の関係や、母親(アネ)が芸術家だった父親の影響を受けていることや、彼女の創作活動の様子や作品に対する自信のなさや絶望のようなものも感じられる。

 性の自認そのものに悩む子どもへの接し方も、大人によってさまざまで、芸術家の母親のように「男でも女でもどちらでも良い」という接し方も「子どもだから分からないのだ」という接し方もあり、そんなことがココを傷つけたりもする。ココという呼び方もスペインでは「坊主」みたいな意味らしい。そら嫌だよ。

 ココは叔母が営む養蜂場に頻繁に遊びに行くようになる。ミツバチの生態を知ったり、叔母と池で泳いだり、叔母の孫らしい女の子ニコと仲良く遊ぶうちに、しだいに心を開いていく。と書いてはみたが、そんなに簡単ではない。

 叔母に「自分の名前はない」といったりするが、教会を掃除している時に知った聖ルチア(サンタ・ルチア)の名前を気に入って、「これからはルチアと呼ばれたい」と発言するようになったり、いわゆる「起承転結」映画のように、一元的に物語は進まない。横道にそれながらゆっくりと進行していくのだ。

 監督はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン。1984年バスク生まれの女性だ。(女性と書いてしまったが、私は女性だからナイーブな感性を持っているなどと言う気はない。私の知る女性たちにも大雑把な人もいるし、政権に群がる女性議員の差別性にはうんざりしている)本作は彼女の長編第1作にあたる。彼女はバスク州のパイス・バスコ大学卒業後、キューバの国際映画テレビ学校を卒業している。不思議な経歴だ。

 なるほど、母親との関係などこの映画に何らかの影を落としているのかも知れないなどと勝手に考えている。

 物語の進行とテーマなどがガツンと観客の心にヒットする映画ではないが、私には「いい映画を観たな」という想いが残ったのも事実だ。母親アネ役のゴヤ賞受賞俳優パトリシア・ロペス・アルナイスや養蜂家の叔母役のアネ・ガバラインなど良い味を出している。

 スペイン語の原題は「20.000 especies de abejas(2万種のミツバチ)」である。