ヴィム・ヴェンダース監督の映画は、長く私の記憶の中に残り続けている。後に観ることになった70年代の「都会のアリス」や「まわり道」「さすらい」でロードムービーの面白さを体験し、「パリ・テキサス」では、乾燥したロードを男は今でも歩き続けている。ドキュメンタリーにも多くの優れた作品がある。タイトルを上げるだけでもきりがない。

 で、今回の映画は「THE TOKYO TOILETプロジェクト」に合わせて日本で撮影したもので、主演を務めた役所広司が2023年カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞した。また本作はアカデミー賞では国際⻑編映画賞の⽇本代表にも選出されている。

 渋谷でトイレ清掃員として働く平山が主人公。下町が残る隅田川近くに住む彼の日常は、同じことを繰り返しているだけのように見える。しかし、同じ日は1日としてない。「いつもの仕事」「いつもの日常」と感じてしまいながらも、そこをに何を発見し、楽しむか?そんなことが問われるのだ。

 落ち葉を掃く竹ぼうきの音。毎日買う缶コーヒー(BOSS)。掃除道具を積んだ軽ワゴン車を懐かしいポップスを聞きながら運転して、公衆トイレを隅々まで美しくする。昼休みは神社でコンビニの牛乳とサンド。木々に向けて写真を一枚だけ撮る。(ちょっと映画「スモーク」みたいだけど)夕方は風呂屋に行って、駅地下の呑屋で一杯。これも休日にはコースがかわる。

 こんなミニマム世界を124分、何の退屈もせず見せ切ってしまうのは、映画作家ヴェンダースの力量だけでなく、やはり俳優の魅力を生かし切っているからだ。主演男優賞の役所広司だけでなく、さりげなく登場する三浦友和。歌を歌ってくれる一品料理屋ママの石川さゆり。(彼女の歌も泣けるけど、勝手にギターで伴奏する客があがた森魚)公園のホームレスのような設定らしいが、奇怪なる踊りを踊る田中泯(絶対、田中泯という役じゃないかな)であったりが、とてつもなく観ることを求めてくれる。

 設定じゃなく、役じゃなく、映画の中を生きる人の魅力なのだ。主役の平山の過去は、映画の中では説明されないが、突然やってくる姪っ子のニコ(中野有紗)との会話や、後に登場する裕福そうな妹(麻生祐未)との対応で、何となく推測できる程度だ。

 つまり、観客を尊敬してくれていて、感じ方や判断までもを任せてくれる。そんな面白さかも知れない。(『説明しないと観客、分かんねえんじゃないかな?』なんて馬鹿にするな)さらに平山は音楽も好きだが、読書家でもある。古本屋で100円の文庫を買っては、寝落ちするまで読んでいる。ちなみに、一部を紹介するとW・フォークナー「八月の光」、幸田文の「木」、P・ハイスミス「11の物語」など。もし気になれば文庫であるので読んでくださいというような感じだ。まあ、「11の物語」は姪っ子ニコの抑圧の説明に使われる部分もあるが、説明的ではない。ヴェンダースの想いに近いセリフもある。「同じ街に住んでいても、人それぞれの街がある」というような意味が語られ、同感である。言い換えれば、同じ映画ファンであっても、映画に対する価値観が違えば、作品を共有することは出来ないことに近いかも。(ちょっと言い過ぎかな)

 やはり、私にとってヴェンダースは爺さんになっても新しい映画を見せてくれる背中だ。少しは映画批評もしたいところだが、同じ東京が舞台のドキュメンタリー「都市とモードのビデオノート」や「東京画」を同僚清掃員の柄本時生の言い方を真似ると、10の7だとすれば、本作は10の10なので、ごめんなさい。まあ、最後の木漏れ日を説明するテロップは要らないかもという思いはあるけれど、私も高齢者だけれど、いつかヴェンダースをズバっと批評できる力量を持ちたいと精進したい。

 2023年12月公開。