「名前」「僕たちは変わらない朝を迎える」の戸田彬弘監督が、自身の主宰する劇団の舞台「川辺市子のために」を原作にした作品。戸田彬弘監督は「ドライブ・マイ・カー」でカンヌ映画祭脚本賞を受賞した大江崇允監督共に過去には、共にプロデュースし合い自主制作映画で活動してきた人物だ。

 市子は、いっしょに暮らしてきた恋人・長谷川からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。それが物語の発端。そして長谷川の前に、市子を捜す刑事・後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げるというもの。

 市子に杉咲花、長谷川に若葉竜也、刑事に宇野祥平ら。この映画、やはり推理ものでもあるので多くは語れないが、構造的には、市子に係わった人々の証言や印象で綴っていく物。観客は、アミダクジの綱を渡りながら、何となく市子の背景にあるどうしようもなく厳しい状況を推測することになる。

 何といっても、監督が芝居の演出家でもあるので、各俳優の演技は確かだ。特に杉咲花の演技に尽きると言っても良い。悲しいから泣くのではない。ものすごくささやかな願いを語る中で、自然と涙はあふれ出す。表現ではない。テクニックでもない。まさに演じることの神髄なのだ。そんなものを彼女は体現する。さすがに「おちょやん」大阪弁もさまになっている。が、彼女は東京出身。

 他の俳優たちにも注目だ。市子の友人役の中田青渚などのさりげない演技も見どころだし、市子の母親役の中村ゆりも評価したい。

 この映画の作者は、存在のない市子の背景にあるのが離婚後300日問題での無戸籍と、それだけなら現在は救済されることではあるが、さらに彼女を追い詰めるある事件を設定する。あえて、こういう書き方をするのは、こういった不幸をこの映画の中に設定したのは作者だという事。それを通して、何を訴えかけるのか?そういった崇高な目的意識なしに作ることは出来ないのだが・・・。薄い。「砂の器」にはなれないのだ。

 観てもらえば分かることだが、月子の難病(筋ジストロフィー症かも)の描写。あの状態なら、人工呼吸器も必要だろうし、栄養も胃ろうかも知れない。痰の吸引機など、看護士か家族でないと使えないし、病院などから借りているものだろう。そのあたりに物語の設定のホコロビを感じてしまう。どうしても市子を特殊な状況に追い込みたいのか?といぶかしさを持ってしまう。

 終盤、死にたい女性が登場するが、何故彼女の顔にアザなのか火傷の跡などをメイクしているのか?いくつもの意識下の差別性のようなものも見え隠れする。それは私の意識が過剰反応しているのかも知れないが。

 単館系ではあるが、観客動員も良く、多くの人が押し寄せている。後半は批評させてもらったが、是非観て欲しい映画ではある。あの「月」と同時期に、同じ和歌山で撮影されたのも面白い。(関係ないけど)

 2023年12月公開。