パリ同時多発テロ事件で妻を失った男性(アントワーヌ・レリス)が、事件発生から2週間の出来事を綴ったドキュメンタリー小説が原作。アントワーヌはジャーナリストで作家。妻のエレーヌはメイクの仕事をしている。二人の間には、ようやく歩き始めた息子がいる。実に平和で日差しが眩い家族だった。そしてその日、妻はバタクタンというコンサート会場に出かけ、最悪のテロに巻き込まれる。

 3日後、遺体を確認した夜に、彼はSNSに本作のタイトルを含む文章を書きこんだ。

 この文を綺麗ごとに感じることもないではないが、テロに対して軍隊がガザに進行し1万人以上がわずかな時間で殺されている今の時期、とても大切なことだ。

 この考え方を私は正しいと思うけれど、賛否両論あるだろう。ここでは、映画を紹介す観点で書いていきたいと思う。

 事件を知り心配で胸が張り裂けそうな日々。そして祈りもむなしく妻の死を確認する。で、表題の言葉は、色々あった結果としての到達点ではなく、映画ではかなりの前半に登場する。つまり、このFacebookに投稿され25万回も共有された彼の発言は、その後、じわじわと押し寄せる「失った悲しみ」の序章だったことが分かる。

 まだ言葉も多く話せない幼い息子は、母の不在の意味が分からず探し回るし、埋葬の手はずなど多くの雑事の中で、手に触れるもの一つ一つが失った日々の思い出だ。また、大きな音にも神経は参ってしまう。

 原作者のアントワーヌは「時には呼吸すらできないほどの苦しみにさいなまれた。悲しみを理解するため、紙に言葉を残すことにした。執筆していると、少しの間だが、自由を得られた」と述べている。さらに、「憎しみに縛られた一生を送りたくはない」とも述べている。

 そんなアントワーヌを演じたのはピエール・ドゥラドンシャン。繊細な演技はまさに映画祭では俳優賞をとっても不思議ではないほど素晴らしい。妻のエレーヌを演じたのはカメリア・ジョルダナ。

 監督は「陽だまりハウスでマラソンを」のドイツ人監督、キリアン・リートホーフ。

 監督は公式HPで「アントワーヌの原作は詩的で洗練されているので、忠実に映画化した。ただし、家族との関わりの部分はフィクションとして追加した」と話している。

 また、この映画、驚くべきは幼い息子のメルヴィル(ゾーエ・イオリオ)だが、素晴らしい演技をする。もちろん時間をかけて、リハーサルや撮影を行ったのだろう。この映画の設定では2週間だが、この年頃の子ども、映画の最初より最後では大きくなったようだ。撮影は数か月かかったのかな?子どもの成長は喜んであげよう。

 監督の演出は劇的な部分を過剰に入れずに、丹念に描いているので好感が持てる。ありきたりの劇映画のようなカット割りではなく、自然に流れていくような画面は、「今」の映画だ。多くのことが片付いた後、妻の車を見つける描写も自然で、「なるほどね」と思ってしまう。で、自然にラストシークエンスへ。良く出来ている。

 私においては、鑑賞後の満足度は高い。本作はTOHO系でも上映されているが、全国30館に満たないロードショーにとどまっているのは残念だ。

 2023年11月公開。