ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したとされるアドルフ・アイヒマン。戦後イスラエルに捕らえられ処刑されることになった。アイヒマンに関する映画はいくつかあるが、この映画はアイヒマンの罪状や行動に関するものではない。

 イスラエル独立宣言から14年ほどしか経っていないその時期のある種の群像劇である。

 当時のイスラエルでは、多くのユダヤ人と少数のアラブ人が住んでいたが、そのアラブ人の少年が、アイヒマンの遺体を焼却する焼却炉づくりに参加する話。それもそのはず、イスラエルでは律法により火葬が禁止されており、火葬設備が存在しない。だから作るしかない。

 ブエノスアイレスに潜伏していたアイヒマンはイスラエル諜報特務庁により拉致され(アルゼンチン政府にとっては大問題だが)裁判にかけられているのだが、その身柄が安全に死刑になるのを守らなければならない刑務官の煩悶。

 ポーランドで収容所での経験やユダヤ人の強制居住区域であるゲットーでのドイツ兵から受けた仕打ちなどを、ユダヤ協会の依頼を受けて話すミハという男性の苦悩などいくつかのテーマが映画全体で語られていく。

 だから映画も不思議なトーン変化を繰り返す。最初はまるで、少年を中心としたコメディのような軽やかさから、刑務官の部分では重苦しく(耳鳴りまでして)、それでいて滑稽なスリルを体験し、ミハのパートではまるでドキュメンタリー映画のような語りの重厚さから場面を想像させるリアルな展開となり、さらに彼が語り続ける意味にまで到達する。「忘れたい人間」「忘れさせない人間」という話も出てくる。

 で、もちろんアイヒマンは死刑となり、その灰はイスラエル領海外の地中海にまかれる。まあ、歴史的事実だから書いても良いだろう。

 監督のジェイク・パルトロウはロス生まれ。幼少期からBBCのドキュメンタリーを見て育ったという。本作の題材に関心を持った彼は、実際にイスラエルに行って当時を知る人々を取材。刑務所でアイヒマンの警護をしていた人に聞いたという理容師とアイヒマンのエピソードなども発見したという。いわば、市井の人々の目を通して、歴史を描く方法をとっている。

 で、この映画も、「知りたい派」の私には多くの勉強を強いてくる。その一番はアイヒマンの事。アドルフ・アイヒマンは親衛隊員ではあったが、ユダヤ人虐殺の命を下した人間ではない。軍人として、ユダヤ人大量移送に関わっただけと本人は述べたらしい。「ふてぶてしい大悪人」などではなく小役人的な凡人だという。世界最大の悪を、ごく平凡な人間が動機も信念も邪心も悪魔的な意図も無しに行ったという事。ハンナ・アーレントがいう「悪の凡庸さ」の恐ろしさが見えてくるようだ。(本作では全く描かれていないが)

 ただ命令されただけ、会社の方針に従っただけ、もの言えぬムードがあった。など、無自覚に大罪を犯してしまうのも人間なのである。さっ、あまり映画に関係ないことはさておき、(本当は関係アリアリ)何かをしっかりと教えてはくれないが、映画のテンポやタッチ、質感の変化など、一見、ありふれた一般作の形をとりながら、妙に前衛的でもあった。「6月0日」は5月31日から6月1日の真夜中、イスラエル国家が死刑を行使する唯一の時間だそうである。

 2023年9月公開。