1952年に制作された、黒澤明監督の名作映画「生きる」のリメイク。あまりにも有名作品ゆえ、ストーリーの紹介は意味がないが、1953年、第2次世界大戦後のロンドンが舞台。

 今の時代にしないのは、胃ガンが死に至る病でないと、このストーリーは成立しないからだ。公務員ウィリアムズは、当然、役所勤め。しかも市民課。このあたりもそのままだが、国や街が違うから、少しは設定が変わってくる。

 この映画を観る前に、黒澤版の「生きる」を再び鑑賞したが、黒澤版にはナレーションが主人公の事を説明したり、夜の街の最初でも、無頼の作家に、「胃ガンを背負ったキリストだ。その瞬間、生きられた」などのセリフを言わせている。今の映画なら観客に気づかせる配慮をするのだが、実はこのあたり、黒澤監督のインテリ性に根差している。インテリほど説明したがるのだ。脚本は橋本忍も参加している。

 で、今回の脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。監督はオリバー・ハーマナス。どれだけ、今の映画になっているか楽しみだったが、世界のクロサワの呪縛は強かった。セリフは抑制されているが、幾つかの説明セリフは残っている。ラスト近く、課長の行動の意味を、まるで「羅生門」のような解説的、あるいは証言的な過去回想型式も残っている。ただ、彼が一緒に過ごしたい若い女性に話すセリフは良く出来ている。(黒澤版にはないセリフ)

 古い映画の形式を感じるのは、仕方のない事だと思う。「生きる」からストーリーテラーな部分を省くと映画にならないからだ。また、リメイクであるから、結論はオープンエンドで!なんて訳にはいかないのだろう。それにオリジナル版へのリスペクトもあり、やめてしまった女子公務員の次の勤め先などは違うが、オモチャのウサギも登場する。

 オリジナル版のもう一つのテーマ、公務員のたらい回しや官僚主義を批判するあたりも残っている。

 大きく違う所は、製作された映画の時代の違い。大声と大袈裟な芝居でないと、音が録音できなかった時代と、今はささやく息の音でも録音できるから、芝居はグッと自然となる。調べて見ると黒澤版「生きる」の主演、志村喬は、映画封切り時、何と47歳。大袈裟に老人感と弱さを演じた筈だ。それに比べ、主役のビル・ナイは現在73歳。自然と演技が出来るのである。

 志村喬は「いのち短し、恋せよ乙女・・・」と歌ったが、この映画でもビル・ナイは、スコットランド民謡「ナナカマドの木」。母親への想いも含め、歌う姿は情緒的。

 画面も凝っている。当時の黒澤版に近いフレームサイズ。実際の50年代後半に撮影されたロンドンの風景なども入り、一部16mmフィルムなども使っている。(もちろんCGもあるのだが)全体は鮮やかなカラーであるが、久しぶりにENDマークも出た。

 2023年3月末日公開。