記憶と幻想の境界が崩れゆく認知症の父親と、介護する娘。父親の記憶の中にはもう一人娘がいる。そんな、老いていく意識の中から、物語を立ち上げると、すぐれたミステリーにもなる。

 もちろん、実際の認知症と向き合った人には、「意識の世界って映画より面白い」などと言ってはいられない。うんざりするのは、「もの取られ幻想」だ。マアそんなこと語っても仕方ないので、映画についてだけ。

 アンソニー・ホプキンスの繊細な演技は称賛に値するが、この映画の構造が、映画の面白さ、映画のダイナミズムを教えてくれる。

 まず、観客はいったい何が本当なのか?が気になり(映画なんだから、そんなこと考えなくても良いのに)、次第に、アンソニーの表情から、認知症の頭の中で起こっていることに気づき、さらに、彼のこだわり(時計やフラット)や、世話をするアンの妹、最愛のルーシーはどうしたのか?などと思いをはせながら、映画の、そして人間、誰しもが持つ原初的な想いに落とし込まれていく。

 なるほど、アンソニーがこだわる住居(フラット)の扉や窓からの風景も、彼の精神を感じるように配置、演出されている

 監督・脚本のフロリアン・ゼレールは、小説家であり劇作家らしい。本作の戯曲「The Father」はフランス演劇界の最高賞であるモリエール賞において作品、男優、女優賞を受賞している。面白い筈だよ。と、納得。

 娘・アンにオリヴィア・コールマン。映画の中で実在するのかは不明な介護士ローラにイモージェン・プーツなど。

 さてさて、こういう映画を観ると、号泣してしまいそうになるのだが、大丈夫だった。それもそのはず、私自身が死ぬ前の数か月認知症になった父親の記憶の中での親友であった経験や、最近はコロナ禍で見舞いも出来ない認知症の母親の中では、父親を演じている経験から、この映画で起こることは極めて平凡なことなのだと知っているから。でも、映画は面白い。

 2021年5月公開。