3/7(日)保護者会 | ボーイスカウト大阪第142団ボーイ隊のブログ

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2023年10月末日で解散いたしました

本日の保護者会には、土肥学(どひまなぶ)さんと清水伸賢(しみずのぶかた)さんが来てくださいました。このブログをご覧の皆様にはご存知ない方もいらっしゃるかと思いますが、142団を語る上でこのお二人をはずすわけにはいきません。
土肥さんは私より5歳上の先輩なのですが、ボーイスカウトの最上位である『富士章』を142団ではじめて取得された偉大な先輩です。全くノウハウの無い中で、最高位の富士章を取得されたそのご苦労は計り知れません。また、これは142団で初めてということだけでなく、当時の中央地区(地区とは大阪連盟をいくつかのブロックにわけたものです。統廃合があり、現在はなにわ地区となっています。)でも初の取得ということからもその偉業を理解していただけるのではないでしょうか。そして、現在の進歩進級制度にある『富士スカウト』とは似て非なるもので、クリアすべき課題や提出すべきレポートの質には雲泥の差があります。土肥さんがいらっしゃらなければ、142団のその後の富士章・富士スカウトが生まれなかったと言っても過言ではないでしょう。もうひとつ、土肥さんを語る上ではずせないエピソードがあります。それは『大津ハイク』です。土肥さんが中学3年生の時、第一志望の高校受験に失敗してしまい、併願で受験されていた近大付属高校へ進学されました。しかし、土肥さんはそのくやしさをバネに『絶対トップになってやるんだ!』と決意されました。そんな折、『大津ハイク』という和光寺から琵琶湖を望む大津までの60kmを歩くハイクに参加されました。60kmという途方も無い距離を歩ききり自宅に戻った土肥さんは、立って歩けないほどの苦痛にさいなまれていたそうです。しかし土肥さんは『大津ハイクに比べたら、勉強する事なんてどうってことない!』と気付き、高校に入学されてから毎日猛勉強されました。卒業時には学長賞を受賞され無試験の特待生として近畿大学工学部へ進学されました。その後も勢いは止まることなく、名だたる大企業からの10社あまりの内定を蹴り、大学院へ進学されました。卒業後はホーチキ株式会社へ入社され、現在まで開発畑一筋で歩んでこられています。また、この4月からはイギリスへの赴任が決まり、海外に拠点を移し開発の仕事を進められるそうです。このことから、多くのスカウトに苦難を乗り越える力を身につけてほしいと、長距離を歩くハイキングが恒例行事として続いているのです。現在では60kmから120kmまで距離は伸びましたが、それも土肥さんあっての偉業ではないでしょうか。ちなみに、バザーのたこ焼きでいつもお世話になっているのは、なにを隠そうこの土肥さんのお母様でいらっしゃいます。感謝!

次に清水伸賢さんですが、清水さんは私の4歳上の先輩で、現在は弁護士をされながらベンチャー隊の副長を務めていらっしゃいます。堀江中学から大手前高校へ進学され、関西学院大学法学部へ進学されました。高校3年生の受験の時にも夏休みの長期キャンプを休まれることなく参加され、大学ご卒業後は司法試験の勉強を続けながらボーイ隊の隊長も務められました。こういった姿を見せることで、勉強とスカウト活動を両立できることを私達に背中で教えてくださいました。そして、20代・30代の若手リーダーのよき先輩、よき指導者としてもたくさんの後輩を育ててくださいました。私事で恐縮ですが、清水さんに厳しくも温かく叱咤激励されたことは数知れず、この出会いがなければ現在の自分は居ないと日々感謝の念に絶えません。また、清水さんのお母様の昭子さんは隊の指導者や副団委員長として山地団委員長と共に142団の礎を築かれ、お世話になったスカウト・保護者・団委員・リーダーは枚挙に暇がありません。お姉様の高見砂千さんは、かつては中学校の英語教諭をされながらカブ隊の隊長・副長を務めておられました。海外の大学へのご留学や京都大学の大学院を経て、現在は大阪市教育センターで学校教育の研究をされておられ、NPO法人青少年育成事業研究所の理事も務めておられます。

今回はこの偉大なお二方のご紹介ができましたが、142団の功労者や大先輩はまだまだたくさんいらっしゃいます。これからも機会がありましたらどんどんご紹介して参りたいと思います。
そして、そんな大先輩方の背中をスカウト達が飛び越していってくれるよう願っております。

(福田宗)