『海を破る者』(by 今村翔吾)、読んだ。 | 気が向いたときだけの大阪日記

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タイトルのまんま、気が向いたときだけの不定期大阪日記です(笑)

 

 

 

今村翔吾氏は166回直木賞受賞作家(本屋さんでもあるらしい)で、その際の受賞作品『塞王の楯』も興味をそそられたがもひとつだったので、この作品をお買い上げ。

 

ストーリーは超あっさり書くと、伊予の御家人・河野通有が弘安の役(元寇の2回目の方)で元を迎え撃つというもの。

 

じつはこの河野通有という名前、ひょんなことから小学校のころから知っている。そのせいもあってついポチ(^^ゞ

 

いつぞやの記事でも書いたと思うが、小学生のころあまりにも国語の成績が悪いがため、担任のセンセが母との二者懇談時に「本を読ませてください」と苦言を呈したらしい。その結果、毎月本屋さんから小学館の「小学〇年生」とともに、偕成社児童伝記シリーズが一冊づつ届くことになった(^^;)

 

その中に『北条時宗』があり、御家人としてはただ一人河野通有が登場する。他の主要登場人物は、北条時頼(時宗の父)や政村くらいだった。ちなみに北条政村は「時宗の叔父」と書かれていたが、後年北条氏の系図を見ると曾祖父の弟だった(笑)

 

「北条時宗」での設定は、河野通有は水軍を率いる有力御家人であり、時宗と密に連絡を取って巨大船団で襲ってくるであろう元に備えるというものだった。最後には、時宗の墓の前でおひおひと泣き崩れる通有の姿まで書かれていた。

 

さて本題、『海を破る者』の話である。

 

伝記とは異なり歴史小説なので、上記の内容を踏まえながらも別物として読む必要がある。

 

冒頭、いきなり時宗(「ときむね」ではなく「じしゅう」)の開祖・一遍上人から始まる。なんと一遍は河野通有の大叔父の息子、つまり父の従兄弟なのだ。ここでまずビックリ。

 

北条時宗は1回(と通有の話の中でもう1回かな?)しか登場しないが、一遍はその後何度も登場する。

 

河野家は一族の内紛によって有力御家人どころか完全に没落しており、その内紛の名残で河野家もばらばらになったままである。

 

河野家と元寇だけでは薄っぺらいストーリーになると思ったのか、奴隷として売られてくる繁(ハン。高麗人)と令那(レイナ。「るうし」とあるのでロシア人? でも「きぃえふ」の人なのでウクライナ人?)という架空の人物を、上手い具合に絡ませている。

 

で、ヒマ人なので、その「きぃえふ」と「るうし」をちょっと調べてみた。

 

いわゆるキエフ大公国(9世紀後半~13世紀)が古東スラブ語で「ルーシ」と呼ばれ、その領土は現在のウクライナからモスクワやサンクトペテルブルクまでを含んでいた。ベラルーシとロシアは「ルーシ」に由来する国名らしい。

 

つまり令那(レイナ)の祖国「るうし」はロシアではなくキエフ大公国なのだ。なので「きぃえふ」の今でいうウクライナ人(当時はキエフ大公国人(というのか?))ということになる。今村翔吾さん、ややこしい歴史を持ち込んでくるなあ。

 

瀬戸内を利用した海運を仕切ることにより徐々に立ち直りつつある河野家へ、鎌倉から「河野六郎。西国警備を命じる」と下知があり、一度は退却(文永の役)した元への備えとして九州に向かう。

 

後半はそこから弘安の役での元・高麗軍と日本軍の戦いが描かれる。お決まりというか、竹崎季長(蒙古襲来絵詞の人)も登場し、手柄を立てて恩賞欲しくて仕方ない武士として描かれている(爆)

 

弘安の役も文永の役と同様に博多湾で台風に遭ったように思っていたが、実際は平戸、さらにいえば鷹島(長崎県松浦市)が主戦場であり、そこで3500隻ともいわれる元の大船団が台風に遭難して壊滅したということらしい。

 

占領された壱岐は、少弐氏他の数万の日本軍が台風の力を借りずに実力で奪還している。

 

その鷹島の海戦は日本側に資料がないため詳細不明で、「元史」の記述に頼っているそうな(by Wikipedia)。そのせいで、日本では一般的に平戸・鷹島ではなく「博多湾で神風にやられた」的な話になっているのだろうか? 

 

さらに、宇都宮貞綱を大将に60,000余騎(!!)ともいわれる大軍が九州に向けて進撃中(結局間に合わず、下関に着いた頃に元軍壊滅)だったというのも初めて知った。

 

元寇というと「石垣造って耐えていたら台風がやってきて蒙古退散」と他力本願的に片づけられがちだが、一定割合作り話のある歴史小説を読むだけでも、武士も民衆も一丸となって立ち向かった未曽有の国難だったことが分かった。

 

 ほんま、まだまだ知らんこと多すぎ。

 

んで、この今村翔吾氏、歴史小説という性格のせいもあるのか全体に文章はやや硬めで、「些か(いささか)」「零した(こぼした)」その他、いまどきそんな記述せんやろ的な書き方をしていると思ったら、「うじゃうじゃと」「にゅるっと」など、擬態語は意外とド直球なところにワロタ(再爆)