受験が終了してから息子のリクエストで「2月の勝者」を購入。

入学前の宿題、英単語を覚えるたびに次の巻を渡している。

相変わらず人参ぶら下げないとすすまない。

もうSAPIXは無い。

自分で計画を立てて進めて欲しいのだが・・・。

 

さて、この漫画

実は息子に読ませながら私と妻も夢中になって読んでいる。

 

私たちの疑問、謎に対する答えがそこにはあった

 

高校受験以降の偏差値しか知らない私にとって衝撃だった偏差値30の理由

塾毎に異なる合否判定の偏差値

空欄を埋めることだけで「できた」と勘違いする子供

小学生を過酷な環境におくことの危険性や親の狂気

通常の塾以外にも家庭教師、個別塾

第一志望校にはほとんどの子供が入れない

 

「おー」「へー」「なるほど」が止まらない

なぜ合格できたのか。振り返っても難関校に合格するような成績は取れていない。SAPIXの先生には直前になってから志望校変更について相談した。第1志望校を変更せずにそのまま頑張ることを進めてくれた。家でのらりくらりとしていることを伝えると、塾での頑張りを教えて頂く。取り組む姿勢、表情からやる気が溢れていると。目つきが違いますよ。もう少しです。がんばりましょう。と。昔から家族の評価よりも外での評価が高い息子らしい。

 

親のサポートは最低限として塾に丸投げして挑んだ1年間。過程はどうあれ結果はだした息子。

 

3~5年生のZ会中学受験講座は親と喧嘩しながらも続けた効果はあったのだろう。

6年生からのSAPIXで十分な演習量をこなし、席順・クラス替えの競争の中で徐々に実力をつけた。家庭ではのんびり、マイペースだったけど塾では先生に評価いただいたように集中して頑張っていたということなのだろう。最後まで伸び続け、結果的には模擬試験の結果を反映しない受験結果となった。

 

男の子は最後までわからない。精神的な成長が遅れてくることも一因なんだとか。受験を通して精神的に成長したかどうか。日頃の息子をみていると、相変わらず年の離れた妹達と同じレベルで楽しそうに遊んでおり。時に喧嘩もしている。でも、ちょっとだけ以前と比較すると安定した。かな。

 

合格発表後の登校日、校長先生の挨拶。入学までの期間は「周囲の方に対する思いやりを持ち、自分でできることは自分でやる」「小学生として普通にやるべきことをやる」期間です。あたりまえのこと、それをきちんとやることが大事。この普通の感覚がいいと思う。

息子は第3志望校の試験に向かう。私は第1志望校の合格発表に向かう。合格発表の時刻と試験開始が同時刻。第2志望校の発表はその翌日。つまり、とりあえず3校を受けること。結果はその後判明するというスケジュールだ。

 

不合格でも成績表を配るため全員来るように。と試験当日に説明があった。いろんな意味で混雑は避けたい。発表開始の30分後を目標にして最寄り駅到着。向かう途中、発表を見てきたと思われる親子や親とすれ違う。泣きながら父親に手をつながれてやっと歩いている子の姿も。涙の意味を知ることはできないが、二人の表情は忘れられない。息子はどんな顔をするのだろう。色々な思いが交錯して複雑な心境のまま学校に到着。

 

成績表をもらいに行く前に合格発表の掲示板を見に行く動線になっている。発表会場は既に人はまばら。こんなにのんびりと見に来る人はいないようだ。さてさて、と掲示板に目をやると目に飛び込んだ数字が息子の番号だった。ような気がした。確信が持てない。そもそも無いと思っていたから番号も何となくで自信がない。驚いてカバンの中から受験票を取り出して確認。不合格者の番号掲示・・・ではない。配布された資料にも合格の文字。

 

合格者には点数は知らされない。入学時は皆同じスタートラインだという意味らしい。でも知りたいなあ。その後数日は間違いでした。と電話がくるのではないかと冷や冷やして過ごした。

そして併願2校も合格。

 

マイペース過ぎて「全落ちしちゃうよ」って言って大変失礼いたしました。

受験生の親としては失言に近い発言なのだろう。

まるで実力を信じていなくてごめん。

 

本人は実力相応の第3志望はもちろん偏差値的には微妙だった第2志望校は大丈夫と自信を持っていた。この2校の問題は模擬試験や第1志望校とは問題の傾向が異なり、基本的な問題が多いから点数は取れる。第1志望校は難しい問題も多いし何より受験生のレベルが高いから合否には自信が無かった。だけど勝負はできる。と思っていたらしい。

 

併願2校の試験結果をみると決してまぐれでは無かったのだろう。

実力・・・いつの間にかついていたのだね。

 

みんなが驚いたこの結果。

試験終了後に妻から結果を聞いた息子は驚きつつも納得しているような。本人は奇跡だ。と言っていたが実力なのかもしれない。

統一試験日1日目

予定の時間に起床して軽めの朝食。妻に駅まで車で送ってもらい予定通りの電車に乗車。電車も定時運行。駅から学校までは徒歩20分程度。私がこれまでに受けた試験の裏話や小話をしながらリラックスして試験会場に到着。例年は大手塾の激励会みたいなことが行われているようだが今年は皆静かに試験会場に入っていく。玄関で息子を見送り親は控室の講堂へ。少しすると担当の先生から子供たちの様子や注意事項などの説明がある。時間があるので周囲を散歩するなどして終了時間を待った。試験問題は控室に張り出され、販売もされていた。

出てきた息子は手応えがあったと。しかし、試験後はいつも「できた」と思っている息子。ネットなどで解答速報が載るかもしれないけど見ない。明日があるから。

と言っていた。

午後に帰宅してその日は自宅でゆっくりと。過去問をパラパラ見直す程度で早く寝るようにと言っていた。夕食前後で息子の様子がおかしい。どうやら解答速報を見たらしい。気になっちゃって見たのだろう。聞いてみると「算数・・・40点くらいだ」と絶望した表情。本人は何とか感情を抑えようとしていた様子。「見ちゃダメじゃんか?いつもの模試と一緒だよ。難関校なんだからそう簡単じゃないさ」と話しかけると「わ゛―」と泣きながらベッドへ。少し待ってから2日間の試験は精神勝負。ひとつくらい悪くても翌日で挽回可能だよ。って『ネットにも書いてある。』と伝えるとすっきりとした表情でそうだね。といつも通り切り替えて早めに就寝。家族は毎回うんざりしていた儀式だが、いわゆるルーチンは大事だな。と。そして、本に書いている。ネットに書いている。と言うことで説得力が格段にアップすることを知っている。

 

統一試験日2日目

予定通り起床して試験会場へ。前日と同じ電車に乗って同じ道を歩いて。終了後、出てきた息子を見つけて駅までの道を歩く。前日同様国語ができたと。算数の失敗は国語で挽回できているはずだと分析していた。「この道もご縁があればまた来られるかな」。と話しながら午後試験の第2志望校へ向かう。

 

1年前には想像もしていなかった学校に挑戦できたことだけでも得るものはあったかなと。考えながら。本人は控えめに「受かったかも」とひそかに手応えをアピールしていたがこれまでの実績から誰も信じていなかった。

志望校を決めてから過去問を購入。第1志望校の算数は20年分の過去問集が発売されている。20年!と最初は驚いた。誰がやるのだろう。と。受験生はみんなやるそうだ。併願校の過去問集も購入。

 

秋以降、自宅での学習は日曜日の志望校別演習プリントの復習と過去問のみとした。通常授業の内容は塾で解決してくることに。塾の先生からのアドバイスもあってのことだがやることがシンプルに整理されて息子にはよかったのだろう。特定のプリントを残して塾の資料は帰宅後すぐに処分して環境もすっきり。過去問は算数20年分を2回、国語、理科も5年分は解いたようだ。他の塾や通信講座の学校別模試を行い、第1志望校のみにターゲットを絞った。

 

私個人の経験から1日に集中して勉強できる時間は限られている。塾に行っている時間だけでもかなりの時間になる。現実的にできる量を定めることで勉強の効率が上がったのではないだろうか。大量のまっさらなプリント類を処分していくことには抵抗もあったが残していても触ることは無く部屋が汚れるだけだった。と。

 

直前1週間は体調管理が最重要であること。生活のリズム、精神的な安定が一番。普段通り日常生活を行うことを重視。早寝早起きは1か月前から言っていたが全く実行できずに早朝の目覚ましに目覚めるのは親だけ。なぜか5:00とか極端に早い時間。本人は平気で寝続けるという。起こされる親の忍耐力の問題で目覚ましは禁止となった。さすがに直前数日だけでも。と思ったが、早寝はできても早起きはしないという。息子らしい。

 

クラスに10人弱いる受験する子たちの多くは3学期始業式から欠席。特別なことはせずに普通のことをして普通に受験を迎える方針の我が家。最後の2日間は本人の希望で欠席。勉強もしていたようだが“いつも通り”録画していたテレビをみたりして過ごしたようだ。

 

受験直前期の方が親も子も気持ち穏やかに過ごすことができた。これは勝因のひとつだろうと思う。親としては息子を心身ともにいい状態で送り出すだけ。あとは本人の問題。今更じたばたしても仕方がない。と。

前日は持ち物、電車の経路・時刻表をチェックして早めに就寝。

12月最後のサピックスオープンは3教科の偏差値が47.8。結局最後まで国語の偏差値は50を超えることは無かった。6月以降は算数と理科の偏差値は50を超えることもあり力はついてきたのだろう。60近い偏差値をとったこともあったが上下のブレが大き過ぎた。3教科合計の偏差値は最高でも56。ほとんどが50前後であり通常授業のクラスもBとAクラスの間を行ったり来たり。

 

第1志望校の合否判定は1度だけ40%だったが、ほぼ20%。

志望校別模擬試験では算数で最下位となり3教科の偏差値は37.8。合否判定は30%。

 

6年生の春頃のような解答用紙の空欄が無くなった。頑張って埋めている。進歩はしているのだろう。結果に波があるのは学力以外の問題もあるのだろうか。テスト中は落ち着いて解けているのだろうか。

 

最後の模擬試験から本番まで6週間。

結果的にはここで伸びたのだろう。

伸び代しかない。

追う者の強みとでもいうのだろうか。

 

偏差値として10くらい伸びたということになるわけで・・・

「志望校はどこ?」

中学受験最初の一歩として志望校を決めなくてはいけないらしい。塾に慣れた頃に息子から言われた。まずは自宅から近い学校のホームページを見るところから。魅力、教育方針、大学合格者数などはみることができる。中学校を選択するために大学受験の実績を意識すること。この世界では常識なのだろう。雑誌では東大・京大・国公立大学医学部への合格実績が特集されている。子供達もそんな情報を持っている。もちろん大学の合格実績は気になる点だが、親としては6年間を過ごす環境も重視したい。中学受験がゴールじゃない。大学受験だって通過点。生きる力、友人関係、多様な社会に対応できるように。そんなことを考えながら見ていると生徒の自主性を重んじる学校が魅力的に見えてくる。加えて進学実績も驚異的。さて、そんな素敵な学校の偏差値は・・・と。息子の偏差値と比較するとどこも夢の世界。とりあえず無難なところを。6年生春の時点では自宅から通学可能な中堅レベルの学校を志望校とした。

 

世の中は緊急事態宣言発令中。学校説明会の多くは中止になったり、人数制限のため参加申し込みは有名アーティストのチケット争奪戦のように開始数分で締め切られる。志望校を決める判断はますます雑誌やネットの情報に左右されるようになった。

 

そんな中、夏に開催されたネット上での学校説明会と個別面談。私の独断でいくつかの学校に申し込み。現実的なレベルの学校、私の母校、地方で進学実績を上げていて寮のある学校、夢レベルの学校をピックアップ。夢レベルの学校は後に第1志望校となる訳だが、息子も妻も「恥ずかしい」と。確かに偏差値を見たら・・・。上を見ずに前に進めるか!と勢いづいて申し込んだのだが、よもや偏差値30-40をふらふらしている子供とは思われていなかっただろう。PCの前で息子と2人。緊張してあまり話ができない息子にも学校の魅力や校風などを熱心に語りかけてくれた担当の先生には本当に感謝しかない。もう十分に頑張ってきたのだろうけど、もう少し頑張ってね。とエールも頂く。ご縁があればいいなあ。素敵な学校だなあ。と私も夢をみた15分間だった。

 

息子にとっても家族にとってもようやく私立中学の実態が見えてきた気がしていた6年生の秋。話し合いの結果、息子は夢レベルの学校を志望校とすることを選択。先生が語った学校の魅力や考え方に共感したようだ。私が誘導した部分があったにしろ本人の選択を重視したい。しかし、親として、口にするには恥ずかしいような申し訳ないような気もしていた。まずは塾の先生に連絡。志望校変更を申し出る。電話口で「え?」「本気ですか?」と聞こえたような。「志望校を変更するということでよろしいのですね?」と念を押されたことを覚えている。それまで申告していた志望校から大きくジャンプアップ。しかも成績が上がっている訳ではない。早速選択講座の変更手続きをして頂いた。通常授業はAクラスのまま(CBAの順番で成績順のクラス編成)。日曜日の志望校別講座だけトップクラスのお子さんとご一緒に。他のお子さんは難関校を併願校とするようだが息子にそんな余裕はもちろんない。第1志望校に専念することを親主導で決めた。

第1志望校は統一試験日に2日間の試験を行う。この試験に集中するためにいわゆる前受や1日目午後の受験はさせないこと。第2志望も後期なので難しいかもしれない。合格できそうな学校を3日目に。本人は合格しても行かないと言っていたが。1週間後の国立付属も願書は提出。

全部だめでも近所の公立中学校に行けばいい。と親は気楽に考えざる得ない成績のまま本番を迎えることに。親としては失うものは何もない。不合格だった場合に息子には何が残るんだろうか。

 

直前期には第1志望校を捨て、第2志望校を前期で受ける選択肢を提案したが、「第一志望校に行きたいなあ。」とあくまでもマイペースを崩さない。

模擬試験の日。いつもやりきった表情で帰ってくる息子。手応えはばっちりな様子。一転、「あ゛―」「なんでだ―」「もういい!」「死ぬ―死んでやるー」と悲鳴を上げながら自己採点を終える。鬼気迫る表情。絶望を全身で表現。本気で心配になるほど。その後、泣き続けて、気が付くとベッドで寝ている。数時間、もしくは翌朝に起きてきた時、彼の口からは全く別の話題が出てくる。もちろん笑顔。毎度のことなので家族にとっては日常の一部となった。暖かい日には開いている窓から怒鳴り声が周囲に聞こえていただろう。通報されてもおかしくないと思うこともあった。この切り替えの早さと常に前しか見ないその性格。天才的だ。そんな性格だからか、あんなに悔しがったにも関わらず親が見ていない時間帯では流行のドラマをみたりワイドショーをみたり。入試直前期でも鬼滅の刃はamazon prime videoで全話見ていたし、録画していたお正月特番や特別ドラマも。本人はこっそりと見ていたようだが目撃した妹から報告を受ける。

 

何かを犠牲にしてまで受験はさせない。とは考えているものの直前期、しかも全く成績が足りていない状況において彼の精神状態を疑い、「できないならもうやめよう」と。そのたびに涙を流しながら「やる」「できる」を繰り返す長男。6年生秋以降はそれまでの㈫㈭㈯に加えて㈰も講座が追加された塾には一度も嫌がることは無く行っていた。長男なりに見えないところでは頑張っていたのだろうと思う。しかし、もう少し追い込まれた方がいいんじゃないかと思うほど。のんびりとマイペース。

 

受験が終わった今、子供の頑張りは大人目線の頑張りとは違うのかもしれないな。と考えなおしている。

我が家には3人の子供がいる。6年生の長男、1年生の長女、年中の次女。長男の中学受験により姉妹には窮屈な思いをさせないことを決めていた。受験生が大変なことは知っている。応援はするし協力はする。でも、他の家族を犠牲にはしない。受験ごときで家族の関係が悪化するなんてあってはならないことだ。受験生であっても周囲への配慮、思いやりは最低限持っていて欲しい。が、しかし、私の思いを裏切るようにイライラした息子は妹たちに意地悪はするし、私と妻を怒鳴りつけるようなこともしばしば。心の成長、首を長―くして待ち続ける日々であった。

 

進学実績で受験校を検索していくと大都市圏から離れた地にもキラッと光る学校がある。私の母校もいつの間に中高一貫校となって大都市圏からの生徒確保に必死のようだ。寮生活から生まれる友人関係は非常に濃くなるし適応さえできれば社会性も備わるのは間違いない。息子のことだけを考えたらその選択肢もありだろう。同じくらいの進学実績を誇っている大都市圏の上位校と比較すると比較的合格しやすいようだ。学校説明会などで情報を得た息子はまんざらでも無い様子だったが、私の判断で遠方の学校、寮にいれることはしない決めた。今、家を出たら少なくとも年中の次女にとって兄との思い出は残らないだろう。私は田舎で育ったため地元に進学校が無かった。そのため寮がある遠方の高校に進学した。6つ年が離れた弟は当時小学校3年生。私を送って帰る車中で涙したそうだ。苦しい思いをさせた。その話を聞いたのは私が35歳の頃、20年経っていた。私の進学との関連は不明だが、その後弟は父との関係が悪くなるなど苦労したようだ。自分の子供達には同じような思いをさせたくないと思っている。

冬期講習終了後、5年生の1月から入塾。通信講座は休会とした。すぐに新学年の組み分けテストが実施された。3教科合計の偏差値は35.9。平均程度はとれるんじゃないかと考えていた自分たちの甘さ。この時初めて数字になって突き付けられた。当然クラスはAクラス(CBAの順番で成績順)。席順も成績順となること、息子が最後方に座っていることもこの頃知った。

更に、3月のテストでは算数で偏差値27.1。答案用紙は空欄ばかり。時間も足りず手が付けられない問題も多々あると。これは単純にトレーニング不足なのだろうか。つまり、テクニカルな問題で点が取れないのか、それとも・・・。のらりくらりとやってきた通信講座の成果は無いのだろうか。

やめた方がいいんじゃないの?本気で思ったが本人はあまり気にしていない様子であった。そもそも偏差値という概念を持たない息子にとって30だろうが20だろうが関係なかったのかもしれない。

追い詰められて勉強に励むでも無く相変わらずのマイペースで。

 

塾には嫌な顔せずに行くのだが・・・。

SAPIXはプリントが膨大。当然うちの息子はこれを整理できるわけがなくどんどんとプリントの山があちこちにでき始めていずれ繋がり山地、山脈となり、そのうち崩れて台地になる。
1週間前の資料を復習して授業時のテストに備えようとするようだが、プリントが見つからない・・・。見つからないといって泣き叫び、探せといって威嚇をする。父のせいだ、母のせいだ。と。

 

こんな幼い心の息子が受験なんて・・・。やめようよ。本気で何度も話すのだが何故かやめるとは言わない息子。だったらしっかりしろよ!と不毛な言い争いになっちゃうので適当なところで退散。