子供
「子供はあなたを見ています」
こう、コメントでいただいてからずっと心に突き刺さっていた。
僕は子供に不倫のことをカミングアウトしていない。
告白することに意味があるかないかは別にして、
今後に起きうる子供への影響を考えるととても深刻な気持ちになる。
今、不倫のある家庭を間近に見ていて、
その家庭の子供はあらゆる意味で不倫の影響を受けている。
親の裏切りによって子供が傷つけれれる。
離婚すれば、事態は解決できるのかもしれないが、
一筋縄ではいかないように感じる。
つくづく不倫をする人間のメンタリティには少なくとも過去からの環境因子、
直接的、間接的な因子を整理することで見えてくるものが必ずあると感じている。
なぜなら、不倫は何かしらの動機付けのある行動の結果であり、
その動機を推し図る時、不倫する人間の「自分史」を紐解く必要があるように思うからだ。
僕の場合は、かつて受けた性的虐待が何かしらの影響を与えているように思えるが、
やはりそれだけではない、親から子へ引き継がれる「DNA」もあると思える。
だからといって、不倫をすることを擁護するつもりは毛頭ない。
ただ、不幸にして心の隙間がなぜあるのかも分からず、
心が赴くままに「いけないこと」と知りつつ止められない心には同情する。
そこには「救い」が必要だと感じるから。
当然、不倫をするものの過去の統計やデータがあるわけではない。
ただ傾向をみていると、どこか自分自身を見捨てていたり、
確固たる自信を持つことができず、快楽に身をゆだねて自己確認しているように思える。
自分自身に自信が持てないことは、
子供に対する投影もまたコンプレックスの要素があるもので、
自分以上に子供に期待を過度に寄せたりするもので、
やはり、過去からくるメンタリティによって距離感が測りづらい。
子供側からしてみれば、不倫を知った時点でモラルに反する行為であり、
自分を裏切った行為として憤りもあるだろうし、
ましてや、教育的な立場の説得力に欠けるわけで、
何を基準に自分自身を形成していくのか、
何が正しくて、何が間違っているのか見失ってしまうだろう。
だから、純粋に子供は被害者だ。
当然、子供が真っ先に救われなければならない。
離婚や別居で安心して暮らせるのであればそれが優先されるべきだ。
そうした時、同時に不倫をしている人自身もまた自分自身で、
子供の頃からの「何か」を消化しきれずにいると思う。
「甘えるな」、「言い訳するな」と断罪し、責めることは容易だろう。
親が未成熟だと断罪してしまえば、問題の解決はどんなにか簡単だろう。
しかし、不倫にのめり込んだ後、その行為を反省し自省した人間もまた救われるべきだろう。
不幸の世代間連鎖を断ち切るにはその方法以外にはありえない。
許されて、家族の再構築を図るのならば、
過去を見つめて、自分自身の問題を夫婦で共有する必要もあるだろう。
自分自身を許さなければ、他人を許すことなどできない。
何が幸せで、何が不幸なのか僕には良く分からない。
少なくとも子供が安心して暮らせない家は不幸でしかない。
そしてそれは世代の連鎖をしていくものだと認識している。
家族の問題を個人の問題にすり替えることは不可能であり、
家族として何ができるか、また家族としての役割や立ち位置を確認することが、
解決の第一歩につながっていると信じたい。
覚書8/6
こう、コメントでいただいてからずっと心に突き刺さっていた。
僕は子供に不倫のことをカミングアウトしていない。
告白することに意味があるかないかは別にして、
今後に起きうる子供への影響を考えるととても深刻な気持ちになる。
今、不倫のある家庭を間近に見ていて、
その家庭の子供はあらゆる意味で不倫の影響を受けている。
親の裏切りによって子供が傷つけれれる。
離婚すれば、事態は解決できるのかもしれないが、
一筋縄ではいかないように感じる。
つくづく不倫をする人間のメンタリティには少なくとも過去からの環境因子、
直接的、間接的な因子を整理することで見えてくるものが必ずあると感じている。
なぜなら、不倫は何かしらの動機付けのある行動の結果であり、
その動機を推し図る時、不倫する人間の「自分史」を紐解く必要があるように思うからだ。
僕の場合は、かつて受けた性的虐待が何かしらの影響を与えているように思えるが、
やはりそれだけではない、親から子へ引き継がれる「DNA」もあると思える。
だからといって、不倫をすることを擁護するつもりは毛頭ない。
ただ、不幸にして心の隙間がなぜあるのかも分からず、
心が赴くままに「いけないこと」と知りつつ止められない心には同情する。
そこには「救い」が必要だと感じるから。
当然、不倫をするものの過去の統計やデータがあるわけではない。
ただ傾向をみていると、どこか自分自身を見捨てていたり、
確固たる自信を持つことができず、快楽に身をゆだねて自己確認しているように思える。
自分自身に自信が持てないことは、
子供に対する投影もまたコンプレックスの要素があるもので、
自分以上に子供に期待を過度に寄せたりするもので、
やはり、過去からくるメンタリティによって距離感が測りづらい。
子供側からしてみれば、不倫を知った時点でモラルに反する行為であり、
自分を裏切った行為として憤りもあるだろうし、
ましてや、教育的な立場の説得力に欠けるわけで、
何を基準に自分自身を形成していくのか、
何が正しくて、何が間違っているのか見失ってしまうだろう。
だから、純粋に子供は被害者だ。
当然、子供が真っ先に救われなければならない。
離婚や別居で安心して暮らせるのであればそれが優先されるべきだ。
そうした時、同時に不倫をしている人自身もまた自分自身で、
子供の頃からの「何か」を消化しきれずにいると思う。
「甘えるな」、「言い訳するな」と断罪し、責めることは容易だろう。
親が未成熟だと断罪してしまえば、問題の解決はどんなにか簡単だろう。
しかし、不倫にのめり込んだ後、その行為を反省し自省した人間もまた救われるべきだろう。
不幸の世代間連鎖を断ち切るにはその方法以外にはありえない。
許されて、家族の再構築を図るのならば、
過去を見つめて、自分自身の問題を夫婦で共有する必要もあるだろう。
自分自身を許さなければ、他人を許すことなどできない。
何が幸せで、何が不幸なのか僕には良く分からない。
少なくとも子供が安心して暮らせない家は不幸でしかない。
そしてそれは世代の連鎖をしていくものだと認識している。
家族の問題を個人の問題にすり替えることは不可能であり、
家族として何ができるか、また家族としての役割や立ち位置を確認することが、
解決の第一歩につながっていると信じたい。
覚書8/6