内定者の声【山陽放送 中屋藍さん】 | アナウンススクール声光塾 大阪、京都、神戸、関西からキー局アナウンサー内定!

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【山陽放送 中屋藍さん】

関西学院大学文学部

出身地:和歌山県

アピールポイント:阪急電車が好き、純喫茶めぐり、宝塚観劇、相撲ファン

 

わたしは、和歌山県の観光大使をする中で、アナウンサーになりたい!という夢が生まれ、声光塾の門を叩きました。
初めて声光塾のレッスンを見学に行った時、「アナウンサーは、努力をすれば絶対になれる職業」とおっしゃった先生の言葉を信じて努力を続けてきました。この言葉には、何度も助けられました。と同時に、何度もこの言葉を疑いました(笑)
しかし、アナウンサー試験を終えてわかったことは「先生がおっしゃっていた事は本当」だということです。先生は、その「努力」の「方法」を惜しみなく教えて下さいました。
授業では、発声方法などのアナウンス技術をはじめ、自分のアピールポイントや、なぜアナウンサーになりたいのかなど、「自分」についてたくさん考えました。レッスンでは、自分では気付かなかった強みや興味のあることを知ることができました。
 

アナウンサーの入社試験、最初はキー局のインターンです。インターンの時から、先生には毎日エントリーシートを添削して頂きました。どんなに夜遅くても、丁寧に添削してくださった先生。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
キー局のインターンでは、上級インターンに進むことができました。良いスタートダッシュが切れたかも...!と思ったのも束の間。関西、名古屋、福岡と、中々一次試験から先に進むことが出来ない日々が続きました。もう私はアナウンサーになることはできないのかもしれない、アナウンサーになることは諦めよう、と考え、教室では何度も泣きました。しかし、どんなに落ち込んでいても、先生のレッスンを受けると、不思議と「やっぱりアナウンサーになりたい。頑張ろう」と前を向くことができました。
 

4年生の春。私がアナウンサーを目指すきっかけとなったテレビ局の採用試験が始まりました。絶対にRSKに入りたい。という一心でエントリーシート、そして面接の準備を行いました。私が驚いたのは、2次試験のカメラテスト。前日に考えていた内容が出るミラクル(先生によると、思った通り!)が起こったのです。その時は、神様と先生に、ありがとうございます!!と心の中で叫びました。そして最終面接。私にとっては、初めての最終面接です。落ちたらアナウンサーを諦めよう、と決めていた私は、さまざまな感情が押し寄せ、マイナス思考になっていました。しかし先生は「RSKにいるところが想像できる!!」と励ましてくださいました。
 

そして5月の末、RSK山陽放送に、アナウンサーとして内定を頂きました。内定の電話を頂いた駅で泣き崩れ、先生に一番に連絡をしました。約2年半、マイナス思考な私に喝を入れ、大きな愛情でご指導して下さった先生。本当にありがとうございました。
先生のもとで学んだことで、アナウンサーという夢が叶いました。
大好きな岡山県で、アナウンサーとして働くことが本当にたのしみです。これからも頑張ります。

 

【声光塾 森本コメント】

大学3年の2月、「もう諦めます。アナウンサーになれそうにないから…」と教室で大泣きした中屋さん。

私の対応は、いたってシンプル。もしかしたら冷たく感じたかもしれません。

「諦めたらアナウンサーになれないですよ。諦めなかった人だけがアナウンサーになれます」

アナウンサー試験は、つらく苦しいもの。就職氷河期時代にアナウンサー試験を受けた経験者として、そのしんどさは痛いほどわかります。誰もが途中で諦めたくなります。でも、大事なのはただ一つ、アナウンサーになりたいという思いを持ち続けること。

学生に対して、「きみは必ずアナウンサーになれる」なんて無責任なことは言いません。ただし、「アナウンサーになる姿が見える」とは言います。だから、「自分で自分を褒めたくなるぐらい努力を続けなさい」と言います。

その言葉が響いたのかどうかはわかりませんが、その後も中屋さんはアナウンサー試験を受け続けることにしました。

 

和歌山県の観光大使をしていたときに訪れた岡山。PRのため山陽放送の番組に出演したとき、アナウンサーになりたい、このテレビ局で働きたいと強く思ったそうです。以降、毎週のように岡山に出かけ、岡山への愛を深めていきました。

 

第一志望の山陽放送に入ってもらいたい。面接の前には、話す内容や事前に準備すべきことを細かくアドバイスしました。フリートークで話す内容は、「これを言ったら絶対に内定する!」というスペシャルなものを一緒に考えました。

そして、山陽放送に内定。地元・岡山出身者よりも岡山のことが好き。山陽放送に入りたい気持ちは、アナウンサー志願者の中でいちばんだったでしょう。