今後、共同親権制度が導入される可能性が高まってきました。

 

 

ただ、共同親権といっても、離婚する以上、元夫と元妻は一緒に暮らさないのが通常です。

 

 

となれば、子どもはいったいどちらの親と暮らすことになるのでしょうか。

 

 

多くの方にとって、「親権」という権利もさることながら、そんな名目上の権利以上に、子どもと実際に一緒に暮らすという点が重要かつ関心が高い事項なのではないかと思われます。



そこで、今回はこの点について考えてみたいと思います。

 

 

子どもが誰とどのように生活するかのパターンについては、あくまでおおまかな例ですが、

 

① 子どもは父親と母親の居所を行き来するパターン(一緒に暮らす時間は均等に近いパターン)

 

② 子どもは基本的に父親か母親のどちらかの居所で生活しつつ、定期的に他方親の居所でも生活する(宿泊を伴う)パターン(一緒に暮らす時間に一定の差があるパターン)

 

③ 子どもは父親か母親のどちらかの居所で生活し、定期的に他方親と面会する(又は面会はしない)パターン(他方親とは一緒に暮らさないパターン)

 

あたりが、想定できそうです。

 

 

③なんかは、現状の単独親権制度においてもよくあるパターンですから、特に変化はないといえるかもしれません。

 

 

では、共同親権制度が導入されると、このどのパターンになりそうかというと、現時点で最新の「家族法制の見直しに関する要綱案」(令和6年1月30日付)を見ても、はっきりとは分かりません。

 

 

この要綱案の該当箇所を見てみると次のような記載があります。

※アンダーラインは私が引いたものです。

 

3 離婚後の子の監護に関する事項の定め等

⑴ 離婚後の父母双方を親権者と定めるに当たって、父母の一方を子の監護をすべき者とする旨の定めをすることを必須とする旨の規律は設けないものとした上で、離婚後の子の監護に関する事項の定め等に関して民法第766条第1項が規定する「子の監護について必要な事項」の例示に「子の監護の分掌」を加えるものとする(注)。

⑵ 子の監護をすべき者が指定された場合における権利義務について、次のような規律を設けるものとする。

ア 民法第766条(同法第749条、第771条及び第788条において準用する場合を含む。)の規定により定められた子の監護をすべき者は、同法第820条から第823条までに規定する事項について、親権を行う者と同一の権利義務を有する。この場合において、子の監護をすべき者は、単独で、子の監護及び教育、居所の指定及び変更並びに営業の許可、その許可の取消し及びその制限をすることができる

イ 上記アの場合には、親権を行う者(子の監護をすべき者を除く。)は、子の監護をすべき者が上記ア後段の規定による行為をすることを妨げてはならない

(注) 子の監護の分掌について、家事事件手続法を改正して、給付命令等(同法第154条参照)に関する規律を整備するものとする。

 

 

何とも分かりにくいなあというのが正直な印象ですが、頑張ってひも解いてみたいと思います。

 

 

まず、「監護」というキーワードが何度も登場しますが、これは子どもと一緒に生活して、面倒見ることくらいに考えてもらえればいいと思います。

 

 

その上で、上記要綱案の冒頭を見ると、「父母の一方を子の監護をすべき者とする旨の定めをすることを必須とする旨の規律は設けない」とあります。

 

 

つまり、共同親権制度が導入された場合に、子どもが父母のどちらと生活するかは絶対に決めないといけないというわけではないということになります。

 

 

この文言をストレートに解釈すると、どちらと生活するか決めてもいいし、決めなくてもいいということですから、上記の①~③のどのパターンでも構わないということになりそうです。

 

 

そして、要綱案には「民法第766条第1項が規定する『子の監護について必要な事項』の例示に『子の監護の分掌』を加える」とありますね。

 

 

 

「分掌」という言葉は、「仕事、業務を分けて受け持つこと」を意味しますから、「子の監護の分掌」というのは、子どもと一緒に生活して面倒を見ることを父母で手分けしてやるということになります。

 

 

以上を踏まえて、現行の民法766条を見てみると(1項、2項のみ抜粋)

 

民法766条

1.父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。

2.前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。

 

と規定されています。

 

 

要綱案によれば、前述のとおり「父母の一方を子の監護をすべき者とする旨の定めをすることを必須とする旨の規律は設けない」ということですから、第1項の「子の監護をすべき者」という文言は削除して、その代わりに「子の監護の分掌」という文言を加えると、民法766条第1項は、こんな感じになるのではないでしょうか。

 

 

(予想)民法766条

1.父母が協議上の離婚をするときは、子の監護の分掌、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。

2.前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。

 

 

ということは、子どもが誰とどのような形で生活するのかについて、当事者間で合意ができれば、それでいいし、その協議がまとまらないなら、裁判所に決めてもらうということになりそうです。

 

 

条文に「子の監護の分掌」という言葉が入るのであれば、父母で手分けして子どもの面倒を見る、つまり、子どもは父母の家を行ったり来たりするみたいなパターン(先ほどの例でいうと①や②のパターン)しかダメなのではないかと思われるかもしれませんが、そうではないはずです。

 

 

その証拠に、もう一度先ほど挙げた要綱案の⑵を見てみましょう。

 

 

要綱案には、「子の監護をすべき者が指定された場合」とか「親権を行う者(子の監護をすべき者を除く。)」といった記載があります。

 

 

この文言からすると、親権者ではあるけれども子どもを監護しない親が想定されていることがうかがえます。



したがって、一方の親だけが子の監護者とした、子どもと一緒に生活して面倒を見るパターン(他方親は親権者ではあるが、子どもと一緒に生活はしないパターン)も予定されていると考えられます。

 

 

先ほどの例でいうと、③のパターンがこれに近いかもしれません。

 

 

要綱案の書きぶりからすると、このような場合は、共同親権であったとしても、子の監護をしない方の親は、子どもの日常的な事柄や、子どもの教育のことや、子どもがどこに住むかなどについて、あれこれ口出しをして妨げてはいけませんよということになるのではないでしょうか。

 

 

ということで、「共同親権」が導入されると、子どもは父親と母親の住む場所を行ったり来たりするみたいな状況をイメージされるかもしれませんが、すべてのケースが、そのような状況にはならないのではないかと予想されます。



翻って、共同親権が導入されることで、いろいろなパターンの監護状況が想定できることになり(冒頭で挙げた①や②と一口にいっても、細かく考えればいくつものパターンが考えられるはずです)、しかも当事者間の協議で決まらなければ裁判所に決めてもらうということになるわけです。



となると、共同親権が導入された後は、子どもの監護をどうするかということを巡って裁判所での争いが増えるかもしれませんね。

 

 

以上はあくまで現状の議論状況を踏まえた一弁護士の考察にすぎませんので、その点は差し引いてお考えください。

 

 

また新たな情報が入ればお伝えしたいと思います。


 

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