観音寺略縁起
奈良時代の養老四年(720年)にインドの帰化僧法道上人によって一霊木から十一面千手千眼観世音菩薩像を刻んで草堂に安置されたのが当山の開基。下って、平安時代の応和元年(961年)、当地に巡錫された空也上人によって七堂伽藍を建立。当時が最も隆昌をきわめたのが鎌倉時代。北条時頼・貞時らの厚い庇護を受け、二十五余坊の寺坊が軒を並べる中本寺の寺院として栄えた。しかし、天正四年の明智光秀の焼き討ちで堂塔坊舎はことごとく灰じんと化した。それでも江戸中期(天明四年)には大聖院・多聞院、力を合わせて丹波を代表する密教建築の本堂を再建する。
しかし、明治二十九年にはこのニ坊も補陀洛山観音寺として統合される。
そして現在では関西花の寺第一番として多くの参拝者から親しまれる花の寺となる。
鐘楼は寛政元年(1789)の建立。
熊野神社
それでは御朱印をいただきに石段を下り
寺務所へ向かいます
御本尊の御朱印
不動明王の御朱印
御朱印を受け取る時に日付が廿七と日にちを間違ってるのを気づきましたが、言ったところで何も変わらないので、何も言わずに受け取りました。
観音寺の次は、綾部市の風鈴のお寺に向かいました。