星田妙見宮に行く途中、👈妙見道 👉大坂道の道標がありました。
今度は家康ひそみの藪
本能寺の変(1582年)の時、徳川家康は堺に滞在していました。
織田信長が亡くなったことの報せを受けた家康は身の危険を察知し、堺から三河へと逃げ帰りる途中に家康がこの藪にひそみ、道案内が来るのを待ったといわれています。
星田妙見宮に到着しました。
鳥居
平安時代の弘仁年間に弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされたときに当霊山に七曜の星降りが降臨し大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。
狛犬さん
境内図
二の鳥居の前に小松神社と書かれた社号碑がありました。
実は星田妙見宮の正式名称は小松神社です。
二の鳥居
参道を進みます
上に行かなくてもこちらで星降り祭の限定御朱印の受付ありました。
限定御朱印は3種類ありました。
星降り祭(ほしくだりまつり)は、今から約1200年前の弘仁7年、星田妙見宮に七曜星が御降臨した7月23日を星降り祭と称して毎年、夏の例祭として斎行されます。
祖霊社
扁額に庚申社と地蔵堂
左から延命地蔵尊、祖霊社、庚申社
下社稲荷社
ここから妙見宮の拝殿へつづく石段がはじまります。
狛犬さん
手水舎
星田妙見宮長くなってきましたので次回へ続きます。