生野神社から徒歩1分!
南岳山舎利尊勝寺の山門に到着しました。
寺伝によると用明天皇の頃、この里に住む生野長者と呼ばれる、夫婦に言葉の不自由な子が生まれた。その子が十三歳の時、四天王寺を創建するために来られていた聖徳太子のお耳にこの話が入り早速、その子を呼ばれ『予が前世にて汝に毘婆尸仏の舎利三顆を預けておいたが、今それを返しなさい』ともうされました。
するとその子は涙を流して喜び、太子に三拝九拝して南無仏、南無仏と唱えながら口より三顆の仏舎利を吐きそれを吐くことを命じたところ、長者の子供は3つの仏舎利を出し、太子に返されました。
その後、その子は普通に話せるようになりました。
太子は三つの仏舎利のうち、一つを法隆寺に、一つを四天王寺に、残った一つをご自筆の楊杖の御影を添えて長者に渡されました。大変喜んだ長者はお堂を建て、この仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の起源と言われています。
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