熊野一之鳥居 藤白神社 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

JR海南駅近くのタイムズで車を借りて藤白神社へ向かいました。🚘
途中、道を間違えましたが、約10分ぐらいで到着しました。
写真を見て分かるようここは、神域といった感じがヒシヒシと伝わりました。


「三熊野一の鳥居」
「これより熊野路のはじめ」と書かれた石碑
「熊野三山の入口」といわれた所以です。


こちらの鳥居からお邪魔します。


藤白神社のクスノキは天然記念物です。
樹齢1000年ぐらいでしょうか?


塩釜神社・住吉神社・秋葉神社・祇園神社


近づいて見てみると神馬が中にいました。


巳社と恵比寿神社の細い道を行くと本殿に続きます。


本殿です。
御祭神
饒速日命(藤白鈴木氏の氏神)
熊野坐大神(熊野本宮)
熊野速玉大神(熊野新宮)
熊野夫須美大神(熊野那智山)
天照大神(藤白王子若宮)

二礼二拍手🙏🙏一礼

ここで近づいてくる怪しい影👤
〝どっから来られたのですか?〟大阪です。
〝鈴木さんですか?〟いいえ違います。
と声をかけられ、いいところを案内すると言われたので、神社の方と思い込みお話しを聞くことにしました。


案内されたのが、こちらの「藤白王子権現本堂」です。


中に入らせていただき、鈴木さんのご先祖は、神武天皇が高千穂から熊野へ立ち寄られた時、穂を献じて飼料に供したので、天皇から〝穂積〟性を賜り、後に紀州では穂藁のことを〝ススキ〟と言うところから鈴木性を名のるようになったとか、平安時代の熊野詣でが盛んに成った時に天皇さんや上皇さんは外へ出ることが日頃ないので、誰が熊野詣の世話を案内をするのか?ということになり鈴木さんのご先祖が、ここ藤白の地に移り住み食事などの世話と熊野へ案内されたというお話しをされました。
又、権現本堂にある熊野本宮・阿弥陀如来、熊野速玉大社・薬師如来、熊野那智大社・千手観音、藤白若一王子・十一面観音菩薩のお話しを延々とされました。


この他にも仏像がありましたが、中で写真は撮りませんでしたのでパンフレットの三尊です。
とても有難いお話が続き、最後に私に問いかけられ、答えが話しの落ちでした。
落ちはここではあえて書きませんので興味のある方は、直接聞きに行ってください。


有間皇子神社
11月11日に19才と若くて命を落とされた有間皇子を偲び、有間皇子まつりが斎行されてます。


ここで由緒です。
景行天皇五年の鎮座に始まり、斉明天皇が牟婁の温湯に行幸の御時、社を創建されたと伝えられています。
神亀元年、聖武天皇が玉津島行幸に際し、当社に僧行基を詣らせ、熊野三山に皇子誕生を祈らせて高野皇女が御誕生されたことにより、光明皇后は神域を広め整え、熊野三山の御祭神を勧請し、末代皇紀夫人の熊野遥拝所と定められました。
これにより子授け・安産・子育ての神として崇められるようになりました。
孝謙天皇玉津島行幸の御時、供奉した熊野広浜が「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と号して以来、藤白王子、あるいは藤白若一王子権現社と呼ばれ篤い信仰を集めてきました。
戦乱の世に入り、本殿と神宮寺が消失しましたが、初代藩主徳川頼宣公により再建されました。


御朱印こちらでいただきました。


熊野一之鳥居
藤白王子権現の印です。


本殿正面にあるクスノキは幹回り10mを越えるもので境内では最も太いクスノキです。


子守楠神社
いい伝えによれば、藤白神社の境内には御神木を合わせたよりも大きなクスノキがありましたが、付近の農村で飢饉が続いて困っていた時に氏子が話し合いを行い、クスノキを切り救済資金にあてたそうです。
その切り株から四本が発芽し、そのうち三本が現存しているそうです。
この三本のクスノキは子守の楠神さんとして信仰されています。


有難い話しではありましたが、話しの時間が長過ぎたので正面鳥居も見ずに次の目的地の西国薬師霊場の禅林寺へ向かいます。🚘
閉まらんといてね。