西国三十三観音霊場第二十一番札所 穴太寺樫本神社から穴太寺までは車で約30分🚘仁王門の近くの駐車場に停めて穴太寺へ向かいます。仁王門は南から真っ直ぐに街道が突き当たる場所に建つ三間一戸の八脚門です。入母屋造、本瓦葺で17世紀中期の建立と思われますが、柱には改造痕跡が多くみられ、狩野永納が延宝四年(1676)に描いた『穴太寺観音縁起絵巻』にある楼門の古材を利用しての改築ではないかはとの指摘もあります。阿形の仁王像吽形の仁王像仁王門をくぐり左側にあるのは穴太寺の鎭守社で菅原道真公を祭神とする天満宮です。寺紋は道真公に因み梅鉢紋です。小さいながらも本格的な一間社流造で18世紀初期に属すると思われます。その左は稲荷明神です。鐘楼は宝暦九年(1759)の建立です。鐘を撞こうと近づくと、残念なことに『鐘を撞くのはご遠慮ください』と書いてました。😥手水舎手水舎の反対側の多宝塔は、文化元年(1804)再建。釈迦如来と多宝如来の二仏を安置し、亀岡市では唯一の木造塔です。穴太寺(あなおうじ)は、山号を菩提山と号し、天台宗に属します。古くは「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」などとも呼ばれていました。創建は寺伝によると慶雲二年(705)、文武天皇の勅願により大伴古麿によって、薬師如来を御本尊に安置し建立されたと伝えます。その後、平安時代になると当地曽我部郷の郡司、宇治宮成によって聖観世音菩薩を当寺に奉迎することになりました。これには仏師の身代わりになり、弓矢を受けその命を救った「身代わり観音」の霊験譚「穴太寺観音縁起」が伝えられています。現在の本堂には正面須弥壇にある三つの御厨子の内、真中に御本尊薬師如来、左側に札所御本尊聖観世音菩薩立像、右側に御前立札所本尊聖観世音菩薩立像の三尊を安置しています。左右の脇壇には左脇に不動明王立像、右脇には平安時代の阿弥陀如来立像と釈迦如来大涅槃像を安置しています。香炉は寺紋の梅鉢紋です。🙏~扁額秋明菊が咲いてました。本堂前の賓頭盧尊者地蔵池地蔵堂宇治宮成の墓所西国三十三観音霊場第二十一番札所の御朱印御本尊薬師如来の御朱印涅槃釈迦如来の御朱印いただきました。穴太寺円応院庭園へ続きます。