真田幸村めぐルートに従って歩いていると、提灯に「どんどろ大師」と書いてある、お寺が見えてきました。
真田丸の北の空堀だった場所に建ってます。
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門の横には、歌舞伎「 傾城阿波の鳴門どんどろ大師門前の場」に登場する「お弓 おつる」母子像の銅像があります。
お話しの内容は、幼い子供を故郷に残したお弓の前に幼いときに別れた両親を訪れてはるばる阿波の鳴門から歩いてきたと語るおつるの身の上を聞き、はっと胸を突かれるお弓だったが、事情があり母と名乗れず…泣く泣くおつるに故郷に帰るよう諭します。
門をくぐって右側に手水場?
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左側には、お地蔵さま
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その奥に「観自在菩薩像」
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「どんどろ大師」
江戸時代に大坂夏の陣の戦死者を弔うために創建したのが鏡如庵大師堂(どんどろ大師)です。鏡如庵大師堂は明治6年に一度は廃庵になりましたが、明治42年に豊能郡能勢町にあった善福寺が移転してきた時に、どんどろ大師善福寺と称し現在に至っています。
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「勝軍地蔵尊」
日露戦争の病死者を慰霊する記念仏として、明治42(1909)年に建立された地蔵菩薩のひとつです。念ずれば、戦いに勝ち、宿業、飢饉などを免れるといわれていました。
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本堂の扁額
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どんどろ大師の御朱印頂きました。
御本尊 如意輪観世音菩薩
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勝軍地蔵尊の御朱印も頂きました。
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真田幸村めぐルートを西へ進みます。