奥甲賀・和田惟政の故地を訪ねる.4 | ぶら散フォト日記

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カメラ片手にぶらぶら散歩・小旅行で撮った写真を・・・

今回は、大鳥神社からマイクロバスに乗り鄙びた山間部の道を進むと、和田川のほとりに到着、ここで和田城館群の画像(案内板のそばに添付してあったリーフレットから)を掲載します。
バスの止まったところから、黄色い線を歩いて和田城跡迄、田圃の畦道・小高い山の坂道を登る。

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余り道を外れるとマムシが出るかもと云われながら山頂の城跡を目指す。
この辺が城跡がある辺りかと・・・険しくなるので引返す。

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此処で和田氏について年表順にちょっと紹介します。
応和 3年(963)和田氏の先祖とされる源満政が甲賀郡司になったと言われている。

保元 元年(1156)保元の乱おこる。この時戦に敗れた源為朝が甲賀へ落ち延びたと伝たえられている。

永和年間 (1375~1379)和田に移住したとされる太郎左衛門家が足利義満につかえる。

応仁 元年(1467)応仁の乱おこる。

永禄 8年(1565)室町幕府13代将軍足利義輝が暗殺される。身の危険を感じ興福寺から亡命した一乗院覚慶(後の足利義昭)が和田惟政にかくまわれる。

永禄11年(1568)足利義昭が室町幕府最後の将軍になる。

永禄12年(1569)三好党が足利義昭の邸宅を襲撃するが撃退される。功績のあった和田惟政は高槻城を与えられる。

元亀 2年(1571)和田惟政、摂津国白井河原で同じ摂津国守護の池田氏の軍勢と戦い 戦死する。

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のんびりと長閑な田圃道を歩いて散策後、そろそろお腹の方が催促している。
又バスに乗って油日駅の方へ・・・・ビジネスホテル(山水)の食堂で昼食となった。
昼食後は油日神社へ参拝であるが続きは次回に紹介します。
今日はここまで、ほんじゃ、また。