肥沼信次:戦後ドイツで発疹チフスと戦った医師 | 大阪の弁護士 重次直樹のブログ

肥沼信次:戦後ドイツで発疹チフスと戦った医師

世界ナゼそこに日本人【偉人伝説】戦後ドイツで流行した発疹チフスと戦った医師,肥沼信次」は,良い番組だったと思います。

→ テレビ東京サイト 自らの命と引きかえに...ドイツで恐怖の伝染病から多くの人の命を救った日本人医師

 

肥沼信次博士については,上記番組も含めて良くまとめられたサイトがあります。

→ 肥沼信次医師とは?戦後ドイツで伝染病・発疹チフスと闘った日本人・桜[世界ナゼそこ]

 

番組録画,参照サイト(最下部にまとめています)等を元にまとめると,概要,以下のとおりです。

 

肥沼信次(1908.10.9-1946.3.8)

・日本の医学者。八王子出身。第二次大戦後のドイツで大流行した発疹チフス対策に,リーツェンの伝染病医療センター初代所長として尽力,自らも罹病して37歳で亡くなった。リーツェン市名誉市民。

 

・日本医科大学,東京帝国大学放射線研究室を経て,日本政府の国費留学生としてドイツに渡り,感染症研究所であるロベルト・コッホ研究所を経て,ベルリン大学医学部放射線研究室の客員研究員,同部研究補助員を経て,ベルリン大学医学部で東洋人として初の教授資格を取得

 

第二次大戦直後,ソ連軍地区司令官から,リーツェンの伝染病医療センター初代所長に任命される。発疹チフスが大流行して多数の死者が出る中,治療に尽力したが,自らも感染し,1946.3.8,37歳で没した。

★戦後ドイツでは東部を中心に伝染病の発疹チフスが大流行した(町がなくなるレベル)(※)。

 

※ウィキペディア「発疹チフス」:第一次世界大戦のロシアでは3000万人が罹患し,10%が死亡した/ポーランドが,歴史的に,発疹チフスの発生を繰り返して来た土地であった

 

・1989 朝日新聞に「コエヌマノブツグをご存知の方はいないか」の記事 → 弟栄治氏と連絡が取れた。

★冷戦終結前は,情報通信が規制され,連絡できなかった★

・1992,リーツェン市が肥沼信次に名誉市民の称号

・1994,同市で記念式典が開かれ,伝染病医療センターのあった市庁舎前に大理石の記念銘板が設置された。

※弟栄治氏もリーツェン氏を訪問,また,「桜を見たい」という兄の最期の言葉を知って,桜の苗木を寄贈。

 

・番組の最後の方で,肥沼信次博士が,元気になって一緒に桜を見よう,と励ましたカールタンメ君(当時5歳)が登場します。そして,先生と共に桜を見ることはできなかったけれど,毎年ここに来てこの桜を見ながら先生のことをいつも思い出している,肥沼先生,本当にありがとう,と語ります

 

・東日本大震災の後,ドイツ,リーツェンの市民や高校から,肥沼医師や博士記念式典の寄付への恩返しとして,義援金7,000ユーロ(約76万円)が贈られたそうです。資金は八王子の高校に託され,岩手県の釜石,陸前高田,大船渡の3市の中学校に寄贈されました。

 

八王子市のサイトでは,「海外友好交流都市」として博士のお墓があるリーツェン市(ヴリーツェン市)を紹介しています。
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kurashi/shimin/004/003/001/p020223.html

 

【参考サイト】

肥沼信次の生涯 ~ドイツで語り継がれる日本人医師~

肥沼信次医師とは?戦後ドイツで伝染病・発疹チフスと闘った日本人・桜[世界ナゼそこ]

肥沼信次(リーツェンの桜)

八王子市サイト(海外友好交流都市のリーツェン市)

・ウィキペディア

 

 

 

 

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番組を見ると,当時のドイツの惨状が伝わってきます。・・・戦争で,栄養も医薬品も乏しく,不衛生な環境の中で,発疹チフスなどの感染病が大流行して,多数の死者が出ます(村・町が全滅するレベル)。

 

ここで,どうしても想起されてしまうのが,ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)です。

 

実は,ホロコーストで毒ガスによる計画大量殺人が行われた,という説に対しては,度々,懐疑説が登場します。そして,先鞭をつけるのは,ヨーロッパでも日本でも,医師です。ナチスのユダヤ人隔離政策は真実だが,多数のユダヤ人の死因は,毒ガス殺人ではなく,発疹チフスの大流行であり,☠マークの部屋でチクロンBが使われたのは,毒ガス殺人ではなく,発疹チフスの消毒だったと,医学的見地から主張する説です。

 

実際,「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクも,姉のマルゴットも,死因はガス毒殺ではなくチフスです。

 

アンネ姉妹などのユダヤ人だけでなく,ドイツ人も,戦争末期から戦後にかけて,発疹チフスで大量に死亡したことが,番組から分かります。

 

懐疑説を唱えること自体,規制されている国もあり,日本でもマルコポーロの記事で,ユダヤ人団体から広告主への圧力が加わった事件があり,現代のタブーと言える内容です。

 

今回の番組でも,ネット上では,懐疑説の立場からの投稿が見られました。

 

日本で著名な懐疑論者は医師の西岡昌紀氏(北里大医学部出身,元厚労省医務官)です。彼の記事が,雑誌廃刊につながる大事件になりました(マルコポーロ事件)。

 

医師の西岡氏は,ユダヤ人隔離政策を真実と認めて非難しつつガス室での大量虐殺はあり得ない,どうやって換気をしたのか(アウシュビッツ強制収容所には換気扇がない→死体・人体の入れ替えが困難→言われている人数の殺害は不可能),チクロンBは発疹チフスの消毒薬,などと,科学的・医学的知見から,大量毒殺説を否定します。

 

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肥沼信次博士は,日本人が,また,人類が誇るべき,立派な医師です。

 

ただ,第二次大戦末期~直後,ドイツ東部(現在のポーランド西部を含む)で発疹チフスが大流行し,相当多数の死者が出た事実は,ホロコースト懐疑説(ガス室でなく消毒室説,毒殺でなくチフスによる病死説)を想起させるため,よく放送できたものだ,と思いました。

 

勇気をもって,良い番組を放送された関係者の方々に,感謝と敬意を表したいを思います。