(今日のBGM:音量注意)
前々回はアジサイの「挿し木」(挿し芽)の話をしました。
今回はそれのついで話となります。
アジサイを挿し木で増やす場合、母樹から採取した「挿し穂」を土に挿すと茎から発根し、挿し穂自身が新しい個体の「最初の幹」として成長し、丈を伸ばしていきます。
それと同時に「挿し穂」は土中で、新しい地下茎の再生を急いでいます。その地下茎こそが植物にとって、本体なのであります。
そして地下茎が再生されると、今後はそこから新しい芽(茎葉)が土の中からいくつも芽吹き、成長して丈が伸びてきます。
自分が今まで行ってきたアジサイの挿し木の経験から言うと、元々の挿し穂はある時点から、もう成長しなくなります。
その代わりに新しい茎の丈はどんどん長くなり、やがて元々の挿し穂の丈を追い越します。そして元々の挿し穂はだいたい2年後ぐらいに枯れてしまいます。
例1
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挿し穂は枯れて、千切れる前は丈が20cm以上あり、脇芽も伸びていました。
(枯れた根が確認できるように、当時はもっと土を被っており、痕跡は地下部分となります)。
例2
左が元々の挿し穂(樹齢満1歳)。根元付近が木化している。右が今春から伸びてきた茎。
今春以降、地下茎から再生してきた茎(右)に早くも丈を抜かれている。しかも差し穂よりも太い。
以上の現象は単にアジサイという生物の生理的な特性に過ぎません。
そこで、この現象を以下に強引に哲学的に考えてみます。
母樹から採取された「挿し穂」に課せられた使命は次世代を育成し、命をつないでいくことです。
そして、「挿し穂」は、母樹から託された使命をやり遂げた後、枯死(多くは越冬時に)し、その生涯を閉じます。
別の表現をすると、この時を以て母樹由来の細胞は新しい株から完全に消滅してなくなります。つまり、世代交代が成し遂げられたのです。
そう捉えると植物ながら案外、ドラマチックでしょう。
そのような哲学的思想を当てはめてみると園芸がさらに楽しくなるかも知れません。
なお、生物学的に見ると、「挿し穂」と新しい地下茎(茎葉)DNAはまったく同じであっても生物的な特性は微妙に異ってきます。
その原因を説明すると、挿し穂は母樹が育った生育環境に適応する形で、その環境に都合の良いDNAが発現して育ってきました。
一方で新しい地下茎(及び新しい茎葉)は、新しい環境に適したDNAを発現させてきました。
そのため、新しい地下茎は挿し穂よりも、その環境により適合しています。さらには、挿し穂
すでに老化が始まってしまっています。
それとは逆に新しい地下茎と茎葉は若く、細胞に活力があります。
このため、植物の本体とも言える新しい地下茎からすると、「老化が始まり、環境に適合しきれていない挿し穂」よりも、「若い茎」(=新しい環境に適応する形で生育してきた)に、より重点的に栄養(土中の肥料分)を送るようにします。
これは、アジサイという種族の生存戦略として、非常に合理的な選択なのだそうです。
母樹由来の「挿し穂」はDNAを運ぶための、単なる入れ物に過ぎないとのことです。
なんとまあ、生存戦略の観点から言われれば、そんな気もします。
しかし、このような、生物学という現実的な考え方だけでは、豊かな心、感じる心を育む点で残念なことです。