(故)岡八朗(旧:八郎)氏
オール巨人氏
(画像借用元)
オール巨人氏が若い頃、師匠である(故)岡八朗(郎)氏のクルマを運転していたところ、他のクルマとの接触事故が起きた。
その相手が、ちょっとクセのある人物であり、師匠(岡八朗)の名前が世間に出ると、師匠に迷惑がかかると悩んだそうだ。
事故が起きた事自体には、岡八朗氏に責任はないが、道義的責任は生じるかも知れない。
また、場合によってはクルマの所有者として賠償責任を負わなくてはならなくなる可能性がある。このようにクルマの所有者は「運転者がやったこと」では済まされない場合がある。
そこで岡八朗氏は「自分の名前が世間に公表されても構わないから、正しい対応をしろ」と指示したそうだ。この話はテレビ(岡八朗氏の追悼番組)でオール巨人氏が自ら話していた。
そこで、オール巨人氏は師匠の指示通り、警察に出向き、洗いざらいを話した。すると、相手は免停中であるにも運転をしていたことが判明した。
これで大事には至らなかったそうだ。
この話から得られる教訓は、例え面倒くさくても、そしてこちらもダメージを受けることになっても、やはり本来あるべき、正しい対応(社会的通年としての道理を重んじたやり方、正攻法)をするべきに思える。
少しでも優位な立場に立とうとして、最初から裏技(この場合は、ちょっと悪い方法)を使おうとする気持ちは理解できるが、最初から「それ」を選択するのはやめたほうがいいかも知れない。
ついつい、忘れがちだが、話がこじれ始めたとき、弁護士などに相談しても説明が面倒となる。
それに「どうして、そんな、ややこしい手を使われたのですか?」となる。周囲の人からは良識を疑われることにもなる。
そして、裏技を使った以上は、今さら正しい方法に戻せない状況になってしまうことも考えれらる。
仮に正しい方法に戻せたとしても、大幅譲歩をせざるを得なくなるかも知れない。
もちろん、「正しい対応」だったかどうかは、結果論的な面があるし、道理を通した方法が裏目に出ることだってあろう。
そもそも、裏技が過剰にウケることになった大きな原因の一つが、筋を通した方法ではバカを見た人が多いことだろう。
例えば商品に瑕疵があって、「正当なクレームを紳士的態度」で入れた場合、店側が足元を見てきて、強気になって応じないことが一定数ある。
あまり言うべきではないが、正当な要求を通すためには開口一番、(モラルの低い店も多いので)怒りの感情をあらわにすることが必要なケースもある。
そのような事情は確かに理解できるが、ただ、現代は裏技がもてはやされ過ぎに思える。
どうせ後悔することになるなら、裏技を使って後悔するより、筋を通した正しい方法を使って後悔する道を選ぶほうがマシだろう。
(引用)
- 巨人の弟子時代のエピソードとして、巨人が師匠の岡を迎えにいくために岡の車を一人で運転をしていた際に交通事故を起こしたことがある。この時、大事になれば週刊誌に岡八郎の名前が載ってしまい、師匠の芸能活動に支障が出ると思案に暮れていたところを、岡に「自分の名前が載ってもかまへんから、警察に起きた事実を言うて来い」と言われたという。その言葉通りに警察に出頭したところ、事故に遭った相手(被害者)が免停中にもかかわらず車を運転していたことが発覚し、大事には至らなかった[54]