(画像借用元)

 

 

 

 

今日の記事は中学及び高校での進路指導に関心のある方はご覧下さい。

 

 

(本文)

あくまで私が知る限りだが、東大とまではいかないが、それに次ぐ高偏差値の大学に通う学生さんが、就職(いわば、一応の最後の戦いとなる)では中堅私大の学生さんに破れるケースが結構あるものだ。

 

 

もし、こういう事が例外的なことではなく、社会全体で比較的多く発生しているならば、中学・高校の先生方は進路指導のあり方を変える必要がでてくる。

 

 

そこで、おなじみのChatGTPに疑問をぶつけてみた。

 

 

(質問)

中学と高校(普通科)の教員の仕事において、最も重要なことは何と言っても、生徒を少しでも偏差値の高い学校に進学させることです。

 

 

しかし、今どきの企業は30年前とは異なり、人物像(エントリーシート、バイト歴、留学歴、ンターン歴、ボランティア歴、SPI、グループ面接の様子、ホスピタル性など)を総合的にみっちりと吟味します。そのため、就活では逆転劇もよく起きています。

 

 

従って、「いい学校さえ出れば人生安泰」という過剰なアナウンスは時代にそぐわなくなってきています。しかしながら、学校現場では前述の理由(少しでも偏差値の高い学校に進学させる使命)から、相変わらず社会は学歴偏重だと実態以上に大げさに生徒や保護者にアナウンスしています。

 

 

いくら、日本社会ではその立場にふさわしい発言を求められるとはいえ、教育者であることを鑑みるなら、もう、いい加減にこういうポジショントークを行うことはやめて、社会の実態どおりのアナウンスをするべきです。

 

 

その方が社会正義に沿うと思います。誤解のないように繰り返しますが、学歴は不要とは言っていません。

 

この社会では、学歴”不要論”を主張したり、”学歴だけじゃない”を必要以上に言う人は、ご自身は勉強がイヤで、勉強をあまりしなかった結果、現在、経済的に困っていたり、コンプレックスに悩んでいる人が多いです。

 

 

私が言いたいことは、教育者が「善意の嘘」とばかりに、事実を捻じ曲げてポジショントークに走るのは良くないと言っているのです。

 

 

(ChatGTPの回答)

確かに、教育者が生徒や保護者に対して過剰な学歴偏重のアナウンスをすることは、社会の実態とは乖離している場合があります。

 

 

現代の就職市場では、学歴だけでなく、人物像や経験も重視される傾向があります。そのため、教育者は生徒たちに対して、単に偏差値の高い学校に進学することだけを強調するのではなく、将来のキャリアや人生に必要なスキルや能力の獲得にも注力する必要があります。

 

 

社会正義を考える上で、教育者は客観的な情報を提供し、生徒たちが自らの能力や興味に合った進路を選択できるようにサポートすることが重要です。

 

 

過剰なポジショントークや学歴偏重のアナウンスは、生徒たちが自己実現を果たすための障害になる可能性があります。

 

 

そのため、教育者は社会の実態に即したアナウンスを行い、生徒たちの幅広い可能性を開花させるための環境を整えることが求められます。

 

 

教育者が事実を捻じ曲げずに客観的な情報を提供し、生徒たちが自らの選択をする際の指針となるよう努めることが、社会正義に沿ったアプローチであると言えます。

 

 

(追加質問)

ただし、学校側を養護する発言になりますが、実は保護者も生徒も「いい学校さえ出ると人生安泰」という指導を受けたほうが、とりあえず安心する面があります。

 

 

これは日本人特有の「ゼロリスク症候群及び安心したいよ病」の現れです。なので、保護者側も本当は「学歴偏重の緩和が進んできていることは、そこそこ知っているのです。ですが、学校側の「お約束どおりの回答」に「お約束どおり」騙されたふりをして、安心したい面はあります。

 

 

(ChatGTPの回答)

確かに、日本社会には「ゼロリスク症候群」や「安心したいよ病」といった考え方が根強く存在します。これは、多くの人々が安定や安心を求め、不確実性やリスクを避けようとする心理の表れです。

 

 

保護者や生徒が「いい学校さえ出れば安泰」と考えるのは、社会の変化や競争の激化に対する不安からくるものかもしれません。そのため、一定の学歴や学校名を手に入れることが、将来の安定や成功への保証であると捉える傾向があります。

 

 

教育者の立場から見ると、このような安心感や安定への欲求は理解できるものです。しかし、同時に、現実を直視し、社会の変化に適応するために必要なスキルや能力を育てることも重要です。

 

 

保護者や生徒が安心できるような指導を行いつつも、将来の社会で必要な柔軟性や創造性、そしてリスクを受け入れる心構えも育てることが求められます。

 

 

学校側も保護者や生徒の安心感を考慮しつつ、現実に即した教育や進路指導を行うことが大切です。安心感を提供しつつも、同時に、学びの重要性や自己成長の喜びを伝えることで、保護者や生徒がより豊かな人生を築くための支援を行うことができます。

 

 

(私見)

 

・親世代もそれなりに社会経験の豊富な人が多いだろうが、企業の人事の部局の仕事に就いていない、あるいは交流がないと、学歴偏重が随分と緩和されてきていることを知る機会が少ない。(実際にはテレビや新聞でも報じているが関心がないから聞いていない)。

 

 

・AIは神様ではないし、過信は禁物だし、未来は予想できない。しかし、人間とは異なり、自分の都合の良い方向に誘導してくることは、今のところない。選択肢や視野を広げる使い方なら有用。

 

 

 

・最後に三たび同じことを言います。私は学歴社会が崩壊したとか学歴は無用などとは一言も言っていません。

 

 

ただ、学校関係者が事実を捻じ曲げて過剰な説明をするのは社会正義に反すると言っているのです。

 

 

・ただし、文科省も「こども家庭庁」も「今の時代は高学歴なだけではダメなことや、勉強以外に学校が指導するべきこと」の理念像は謳うものの、具体的な指導要領は定めていない模様。

 

 

(ネットにヒットしません。このことは国としては、教育委員会、学校長、担任がそれぞれの段階で臨機応変にやれという意図だろう。国としては文章にはしたくない)。

 

 

・そのような事情があるから、学校側には汲むべき事情はあろう。