盆明け早々に、自分の周囲で話の成り行き上、なぜか「ゆとり教育」や「ゆとり世代」について話題になった。そこで今改めて、これらについて考察してみることにした。

 

 

教育学とか、政治学と言えるレベルの内容ではありませんが、

 

 

・「ゆとり教育」について、マスコミはその趣旨を正しく報じていない

 

・今どきの学生は多忙で大変だ

 

・学生の学習意欲と向上心は高い

 

 

という話になる。

 

 

これらのことについて、関心がある方はお読み下さい。今回は論文調の記事であり、真面目感を出すため、あえて絵文字は入れておりません。

 

 

 

(上記より抜粋)

狭義のゆとり教育(2002年実施の学習指導要領)を受けたことのある世代は、1987年4月2日から2004年4月1日生まれである[18]。 令和2年現在において20代~30代前半[19]の若い世代のこととする意見もある。

 

 

「ゆとり世代の」定義が曖昧だが、一般的には教義での意味を指すそうだ。そうだとすると、現時点で満18歳~満35歳の人と考えておくことにする。

 

 

さて、ゆとり教育に対して良い評価をする人は少ないだろう。とにかく、「ゆとり教育=学力低下」のイメージがある。

 

 

しかし、ゆとり教育が導入されたには理由がある。主な理由の1つ目は、知識偏重の詰め込み型教育の弊害の一つが「応用力が低い」こととされる。応用力が低いとは、遠回しな言い方だが、「(知識はあっても)考えるのが苦手」ということ。(そらまあ、数学以外の科目はとりあえず暗記さえしておけば、上位評価を取れるわけだから、考える必要がそもそもない)。

 

 

2つ目だが、これもかなり重要な要素だが、いくら知識を豊富に詰め込んでも、実社会では”役に立たない”ものがもとから多過ぎた。さらには、「これほど、世界も日本もすさまじいスピードで変化していくわけだから、

 

 

識の暗記だけでは、速すぎる時代の変化、世界の変化に太刀打ち出来ない」ケースが多発するようになった。そして、このままではいけないことが、浮き彫りとなって閉まった経緯がある。

 

このことは、個人にも企業にも政府にも当てはまる。

 

 

さらには詰め込み教育は「校内暴力、非行、いじめ不登校落ちこぼれ、自殺」などを多く招く面もあったのは確かだろう。

 

 

 

それならば、知識量を減らしてでも、「生きる力をはぐくむ」ことの方に軸足を(いくらか)移動させることは時代の要請であったのだ。

 

 

例を上げる。「ベリーズ」という国の名前を聞いたことのない人は多いだろう。今の時代はググれば一瞬でどういう国かがわかる。それならば、わざわざこういう、役に立たない可能性のほうが高い知識を詰め込むぐらいなら、応用力の育成に授業を割いた方が、個人の人生も国家の経営も成功する可能性が高い。

 

 

この話に関しては、以下のサイトが公平でわかりやすい。恐らく、思想に偏りがなく、記述が正確で公平だと思われる。

 

 

 

ただし、「ゆとり教育」は結果を見れば、知識量を減らしたデメリットに見合うメリット=「生きる力など」(思考力・判断力・表現力が育まれたかどうかは、定かでない。そもそも、「生きる力」はテストのように点数化できず、客観的に評価をするのが困難だと思う。

 

 

また、教育現場では具体的に”どういう授業をしたらいいのか”がわからず混乱したようだ。そこで、政府(と文部科学省)はこれらのことを総合的に考慮して、再び知識重視型の方向へ”いくらか”戻すことに決定したのである.....。

 

 

 

以上のことから、私の個人的見解は、「ゆとり教育」は全体的に見れば、成功したイメージはないが、かと言って、全面的に失敗だったとも思わない。

 

 

しかし、話はこれで終わらない。下のサイトによると、高校では再び「ゆとり教育」の色を強めることにもなったもようである。

 

 

二転三転、訳が分からない。勘弁しておくれ!と先生は叫びたいだろう。

 

もう、いややー。

 

 

斜めに捉えるなら「朝令暮改」かもしれないが、ここは「適宜修正」と思いたい。

 

 

 

マスコミやコメンテーターが「今の大学生~30代半ばの比較的若い層の人が学力が低いとか、公立学校や教師はサボっていると誤解するように仕向ける報道を意図的に散々、悪意を持って行ってきた」ことは、揺るぎない事実である。

 

(ただし、NHKだけはちゃんと背景を説明をしていたことを明言しておく)。

 

 

実際には学校現場の先生方は昔から「超絶、サービス残業」をやっており、職場環境は悪くなる一方。その辺のブラック企業顔負け。改善の兆しなど一向にないようだ。

 

 

少し話は脱線するが、今の時代、学生バイト生だけで店の開け閉めをし、売上金(10万円を超える現金を持って、一人だけで数百メートル離れたATMへ入金移動)の管理をしているケースも多い。業種はあえて伏せておくが、街の至る所にある一般的な食品や雑貨の販売店舗である。

 

 

客とトラブったり、店舗施設(電気、水道、トイレ、1台しかないレジマシンが故障、防犯設備など)に不具合が起きたり、天候不順(台風など)の店番など、問題が起きたときには、経営者や正社員の責任者(店長、副店長)は不在の場合も多い。

 

 

そしてすぐには馳せ参じないで、電話の向こうで「なんとかしろ!」と根性論の指示。その時、責任者は安全なところにいたくせに、後日、アルバイト店員の対応の仕方が悪いとしっかり文句だけは言うパターンはよくある。

 

 

こういう種類のトラブル対応など、そもそも学生バイトが対処するべき仕事ではないと思う。(とは言うものの、実に皮肉だが、そういうブラック的な店員バイトをしてきた学生さんは就活において、内定をもらうのが、やっぱり早いのは間違いないことだ)。

 

 

また、先輩(大学生)+後輩(高校生)の女子学生の二人ペアで店番をするスタイルは、今のご時世、すっかり定着してきた。お店のユニフォームを着ているから、客の目には分かりにくいだけである。他には大手私鉄の場合、制服を着た駅員が実は大学生である場合もよくある。

 

 

また、オンラインビジネスやカフェを開店したい、音楽学校を開きたいなど、起業を目指す子も増えてきた。そう考えると、「ゆとり世代」と非難を受ける年齢層の人は、親世代が若者だった頃と比べると、ずっと”しっかりしている”と私は思っている。

 

 

さて、「ゆとり教育」に話を戻すと、ゆとり教育の導入が、国益全体でみれば、成功したのかどうかは評価が分かれる。世論的には失敗と判定する意見が多いだろう。

 

 

(さっきと同じようなことを言うが)、あたかも今の大学生~30代半ばの比較的若い層の人は「考えることができない」とか、怠けて遊んでいるとか、「公立学校や教師はサボっている」と言う考え方は見当違いだと、私個人はそう思っている。

 

 

また、もし、百歩譲って、仮に学力が低下しているとしても、今どきの学生はバイトにインターンに就活に多忙を極めている。

 

 

また、親の収入が減っていることなどから、家計を助けているケースも増えてきている。このため、高3の遅い時期までアルバイトに入っている子も(自分の時代と比べる)明らかに増えていると思う。

 

 

(大学進学後に長期留学を希望していたり、部活が関係している場合もある。返済型奨学金を利用する場合、借り入れ額をできるだけ、低く抑えたいケースも見受けられる。以上、事情はまったく、人それぞれであり、理由があれこれと、たくさん複合しているケースも多い)。

 

 

次に感心するべきことの一つとして、いまどきの留学を希望する学生は「ちゃんと学びたい」という気持ちを持っている子が多い点である。

 

 

私が学生だった頃はバブル経済の終末期であった。もっとも、バブル崩壊後とは言え、いきなり就職氷河期が始まったわけではまったくない。バブル崩壊後も数年間は、まだまだ、(自分の周りでは極端な高望みをしないならば)雇用は盛んで、正規雇用が当たり前だった。

 

 

実は私にしてみれば、留学と言えば「バカンス」のイメージを持っている。

 

 

なので、今の学生さんたちが、例えばイギリスとかカナダとかに留学したいなどという話を聞き付けると、私は反射的に「留学先の国で、いかにして遊ぶか?」を、一方的に提案してしまうのである。

 

 

例えば、観光名所の〇〇に旅行をしたらいい、隣国へは電車やバスで簡単に寄れる、帰国時にちょっと他の国を経由して観光をこなすのもいい、この料理は絶対に食べるべきなど。もはや、完全に「留学をバカンスと見なしている」事がバレてしまう。

 

普通は、どういうことを学びたいのか?、そして、どの点を重視してその国に行くことに決めたのか?と聞くのだろうが....笑。

 

 

話は元に戻すと、政府は「知識量」を「生きる力」に交換するのが「ゆとり教育」の趣旨だと、ずっと昔からハッキリと言っている。

 

 

このため、もし仮に「国際テスト」の国際順位が※下がったとしても、そんなことは、最初から予見できていることであり、低下すること自体はかまわない。(※ただし、下がっていないとの見解もある)。

 

 

このため、「ゆとり教育」が失敗だと理論自体はかまわないと思う。ただし、それを言うなら、知識量の低下(というデメリット)を補うメリット(=生きる力)が培われていない、という論理を立てないと議論にならない。

 

 

仮に「国際テスト」の順位が下がったとしても、マスコミが報じる、単に「※国際テストの点数が下がったことだけ」を批判するのはまったく、事の本質を理解していない、論点のズレた論法である事がわかる。

 

※OECD(経済協力開発機構)が実施する「生徒の学習到達度調査」

 

 

ドラクエ的に例えるならば、攻撃力を「10」下げる変わりに、守備力を「10」上げましょう、という感じである。なので、批判する場合、攻撃力を10下げたのに、守備力は「3」しか上がっていない。つまりトータルで7ポイント下がったので、失敗だった....という論法で批判をするのがオトナである。

 

 

「ゆとり教育」に対して、国民の多くが誤解している原因のほぼ全てがマスコミ(NHKを除く)にあるのは明らか。

 

 

マスコミ各社はNHKを見習い、コメンテーターや記者の個人的見解など言う前に、まずは「正しい情報ぐらいは」をきちんと報道してほしいものだ。

 

 

まったく、マスコミ(特に新聞やテレビといった※「オールドメディア」)の言うことを鵜呑みにしていると、若者から、小バカちゃんにされちゃいそうだ。

 

 

「今の時代のことを全然知らないくせに、上から目線で昔の感覚で、時代遅れで進歩のない、トンチンカンなことをガーガー言ってる。「社会に関するデータのアップデート」がまるでできない典型的なオジサン」として....。

 

 

なお、私の場合は労働組合(労組)の教宣活動や地域連合の活動の一環で、教職員の方々の労組も交え、「ゆとり教育の趣旨と混乱」について度々、とりあげられたので知る機会があった。

 

 

つまり、幸運にも「たまたま知っていた」だけである...。実に危ういところであった。

 

 

なお、過去に「ゆとり教育を受けたとされる世代の批判」をしてしまった人は、中高年は一体、今度どうするべきなのだろうか?

 

 

答えは単純明快。

 

 

「あれは間違っていた」とさっさと認めて訂正すればいいだけのことだ。