宗義智
【諱】義智
【苗字】宗
【朝臣】平
【通称】彦三郎
【洗礼】ダリオ
【官位】
従四位下
侍従
対馬守
【生没】1568年ー1615年
【父親】宗将盛
【養父】宗義調
【母親】竜安院
【兄弟】
宗茂尚
宗義純
宗調国
【正室】妙
【子息】
宗義成
女(杉村智次室)
女(柳川調興室)
女(宗成親室)
女(古川成倫室)
女(内野助成室)
【解説】
宗将盛の息子として生まれる、兄に宗家当主茂尚。
兄にや兄義純などが亡くなり、当主になっていた宗義調も子がいないため彼の養子にやり宗家を存続する。
養父義調が隠居から復活し家督を返還する。
一方で、宗家は豊臣秀吉の九州征伐により従属する。
李氏朝鮮を服属させるようにとの命令を受け、義調や小西行長、島井宗室らと共に交渉に尽力するが思うようにいかず難航。
養父が亡くなり家督を再び継ぐが、秀吉の朝鮮出兵の和平交渉や従属作業で翻弄される事になる。
結局文禄の役では舅・小西行長の一番隊に属して自身の兵士を率いて朝鮮出兵する事になる。
対馬北端の大浦を出港し釜山に上陸し東莱など朝鮮の各地に転戦する。
秀吉の死後朝鮮から撤兵、朝鮮水軍の追撃を受けるが無事に帰国する。
西軍に属し伏見城攻撃に参加し、大津城攻めや関ヶ原本戦などに家臣を派遣するが西軍は敗北。
だが悪化した朝鮮との国交修復を迅速に進める事を考えていた徳川家康により罪に問われなかったが行長の娘で妻とは離婚している。
そして江戸期では朝鮮の和平交渉に成功し、幕府から独立した機関での朝鮮貿易をする事を許されている。
48歳没
【朝鮮出兵の宗家の状況】
小西行長 7000人
宗義智 5000人
松浦鎮信 3000人
有馬晴信 2000人
大村喜前 1000人
五島純玄 700人
【桓武平氏との関連】
平清盛
|
知盛
|
知宗
|
宗助国
|
盛明
|
盛国
|
経茂
|
頼茂
|
頼茂(父親と同じ名前)
|
尚茂
|
貞茂
|
盛国
|
貞国
|
右馬
|
盛弘
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将盛
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義智
【諱】義智
【苗字】宗
【朝臣】平
【通称】彦三郎
【洗礼】ダリオ
【官位】
従四位下
侍従
対馬守
【生没】1568年ー1615年
【父親】宗将盛
【養父】宗義調
【母親】竜安院
【兄弟】
宗茂尚
宗義純
宗調国
【正室】妙
【子息】
宗義成
女(杉村智次室)
女(柳川調興室)
女(宗成親室)
女(古川成倫室)
女(内野助成室)
【解説】
宗将盛の息子として生まれる、兄に宗家当主茂尚。
兄にや兄義純などが亡くなり、当主になっていた宗義調も子がいないため彼の養子にやり宗家を存続する。
養父義調が隠居から復活し家督を返還する。
一方で、宗家は豊臣秀吉の九州征伐により従属する。
李氏朝鮮を服属させるようにとの命令を受け、義調や小西行長、島井宗室らと共に交渉に尽力するが思うようにいかず難航。
養父が亡くなり家督を再び継ぐが、秀吉の朝鮮出兵の和平交渉や従属作業で翻弄される事になる。
結局文禄の役では舅・小西行長の一番隊に属して自身の兵士を率いて朝鮮出兵する事になる。
対馬北端の大浦を出港し釜山に上陸し東莱など朝鮮の各地に転戦する。
秀吉の死後朝鮮から撤兵、朝鮮水軍の追撃を受けるが無事に帰国する。
西軍に属し伏見城攻撃に参加し、大津城攻めや関ヶ原本戦などに家臣を派遣するが西軍は敗北。
だが悪化した朝鮮との国交修復を迅速に進める事を考えていた徳川家康により罪に問われなかったが行長の娘で妻とは離婚している。
そして江戸期では朝鮮の和平交渉に成功し、幕府から独立した機関での朝鮮貿易をする事を許されている。
48歳没
【朝鮮出兵の宗家の状況】
小西行長 7000人
宗義智 5000人
松浦鎮信 3000人
有馬晴信 2000人
大村喜前 1000人
五島純玄 700人
【桓武平氏との関連】
平清盛
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知盛
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知宗
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宗助国
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盛明
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盛国
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経茂
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頼茂
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頼茂(父親と同じ名前)
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尚茂
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貞茂
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盛国
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貞国
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右馬
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盛弘
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将盛
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義智