おやまにずっと惚れているわけを考えてみた。



 
どうしてこんなにも恋しくも愛おしい存在なんだろう。




第一、同姓同士の関係性にこんなに夢中になって追いかけて、大きな幸せと癒しを感じていること自体、特殊な嗜好だろう。




ふたりが見つめ合えば、心ときめく。

ふたりが笑い合えば、心踊る。

ふたりが想い合えば、心が跳ねる。




おやまの仕草、表情、言葉、想いに翻弄されることが心地よくて、ずっと心掴んで離さないでほしいと思う。




どうしてだろう。

 


ふたりが特別に見えて仕方ない。




ずっときらきらと宝石のように輝いているから、惹き寄せられて、甘い蜜を吸う。




まるで、一度味わえば虜になってしまう中毒性があるように、他のものが見えないくらいに惚れては想いが強くなっていく。




でも、いつか消えてしまうんじゃないかという儚さを感じる時がある。




あまりに切なそうに笑う時があるから、ふたりの慈愛こもった表情を見ると、どうしたって求めてしまう、この先の未来。




抑えようとしても、やっぱり望んでしまう。またふたりが隣に並ぶ日がいつか来ないかなぁって。




大きい声では言えないけれど
ずっと、想っている。







私の山に対する情は、きっと特殊で。あまり人に理解されないんだろうなと思いながら、一途に山を愛でている。




大野くんと翔ちゃんのこと、個人としてももちろん好き。だけど、その好きを上回るほどにおやまとしてのふたりに惹かれる自分がいる。




ふたりの目に映るのは大野くんと翔ちゃんだけでいい。




お互いにとって、いつまでも特別な存在として居続けてほしい。




なんて、現実味のないことを考えてしまうほどにふたりに依存している。




そんな思考にさせるのも、紛れもないふたりなわけで、きっとこの沼からは一生抜け出せない。抜け出したくないけど。




現実的に考えてあり得ないって分かっているけど、どうしても感じてしまう、互いの情の温度。




あんなに甘くて、今にも溶けそうな表情をするのは、なんでなの。




あまりにも愛おしそうに見つめるから、その心内を透かして見たくなる。




ふたりの言葉はいつも特別で、愛をびしばし感じる言霊が私の周りを彷徨っている。




直接的な絡みがなくとも、ふたりが話すだけでふたりが笑い合っているだけで、誰にも敵わない無敵な魅力がそこにある。




好きになったあの日から、ずっと変わることのないふたりの存在感と芯の強さに何度も助けられた。




私の人生において、おやまが一番の推しで

それは今もこれからも、変わることはない。




どうか彼らが幸せでありますようにと願いながら、ふたりの温度を肌で感じられる日を"またいつか"













きっと、特別なことがない限り
今回が今年最後の投稿になるかと思います。




2023年もぽつぽつではありますが大好きなふたりのことを投稿して、同志の皆様に読んでいただけたことがとても嬉しく、心から感謝しております。




この先も一切ブレることなく、おやまのことだけを見つめ、深く語っていきたいと思います。




おやまが恋しくなった時、ふたりについて語りたくなった時に、ふらっと寄っていただけるようなブログを目指し、これからも丁寧に想いを綴っていきます。




一途におやまを想っていることだけが強みな私ですが、来年も読んでくださる皆様がいることを糧にマイペースに続けてまいります。




今年も一年、大変お世話になりました。

皆さま、良いお年をお迎えくださいね。
















23.12.24  22:00

ニノからの相葉くん愛にやられ、呟かずにいられない。ぎゅっと想いが詰まった言葉。"わたくしからクリスマスイブを消した男"そう言える愛情の深さにこの上ない幸せを感じて。ふたりの関係性もまた別格だと思うのです。

嵐丸々、愛おしい。その感情に尽きますね。

相葉くん、はっぴーばーすでー。