こんにちは(^_^)ゞ
暖かい陽気☀になりました。
👆近所の三角公園の山茶花。
どなたかが管理されているのでしょうか?
今年も、見事な花着きですo(^o^)o
3月に入ってからは、寒い日🥶が続いていた湖畔地方です。
👆3月の始めには、こんなにも雪❄が積もったりもしましたが、、(^^;)
やはり太陽☀の日差しを受けると、途端に花々は元気になりますね💪💪
寒さでしょんぼり😔していた庭のパンジー達も、日差しを浴びて☀イキイキとして来ましたよ(o´∀`)b
さて、漸く読み終わりましたo(^o^)o
捨て童子 松平忠輝 上 その最終
隆慶一郎作
講談社文庫
傀儡子族(くぐつぞく)の娘、雪と壮絶な別れを経験してから2年が過ぎ、忠輝は14歳となりました。
童子髪を切り落とし月代を剃り、もう立派な侍姿となっています。
従四位下右近衛権少将にも叙任され、、
かつて、栃木城近くの山中を野生児の様に駆けずり回っていた忠輝ではありませんでした。
奥山休賀斎に剣と共に仕込まれた学問・礼法は見事な結実を示し、涼しげで端然たる若者に育ったそうです。
そしてそれは、「麒麟」と呼ばれる所以であったそうです。
忠輝は、人気者であったが、秀忠は人気がなかったとか、、、
そんな忠輝は、「新将軍徳川秀忠」の名代となり豊臣秀頼と面会したり、、
(その上、 気が合った2人は「不戦の誓い」までしてしまう)
そして、時は流れて、、
忠輝は、妻を娶りました。
忠輝15歳、五郎八姫(いろはひめ)13歳。
五郎八姫は、あの伊達政宗の娘だったのですね。
徳川と伊達を結びつける政略結婚でした。
一方、その当時、佐渡奉行等を務めていた大久保長安には、その心💕の中に大きな謀を秘めていました。
そして、その大久保長安と忠輝を抹消しようと、別な陰謀も渦巻きはじめ、、
しかし、その陰謀は、、、
その頃、相変わらず忠輝は町に出て、傀儡子族と交流をしておりましたし、、
その他、南蛮人と付き合い、スペイン語や ポルトガル語、ラテン語を習得し、南蛮医学も習い、、(;゚д゚)(;゚д゚)
3年が過ぎた頃には、全く「鬼子」の面影は無く、、
極めて知的な、しかも優雅ともさえ見える好青年となっていました。
そんな忠輝を父家康は認め、越後福嶋六十万石を与えました(^_^)b
しかも、川中島の旧領は、そのままで、一躍七十二万石の大大名となりました。
次回は、「赤毛のアン」シリーズの「虹の谷のアン」の予約が取れたので、そちらの感想を書きたいと思います。
ではでは(^_-)