こんにちは(^_^)ゞ


しばらく、寒い日が続きましたね。

そんな中、スポーツ公園の梅を見に行ってきましたよ♪



👆うーむ😓、まだ三分咲きくらいかな?


👆コチラの紅梅は、日当たりが良いのでしょうね?
かなり、花が開いている様です(^.^)(^.^)

今日の午前中は、青空も覗き日が射して来た☀ので、久しぶりに庭いじりをしました。

草むしりをしたり、ビニールハウスをかたずけたり、、

👇花の芽🌱も、スクスク育っていましたよo(^o^)o



👇そして今回は、以前読んだ「葵の残葉」のスピンオフ作品を読んでいました♪


流転の中将 その1
(序章から第3章まで)
奥山景布子作
PHP研究所

「葵の残葉」では、 
尾張徳川家の分家高須家の4兄弟からの視点で、「幕末維新」について描かれていましたが、

こちらの「流転の中将」は、4兄弟の末の弟「松平定敬(さだあき)」が主人公の物語でした。

定敬は、その時23才、
鳥羽・伏見の戦いで京が揺れている頃、、

桑名藩主でありながら、左近衛権中将(さこんのえごんのちゅうじょう)、越中守の官位を持ち、

ほんのひとつき前までは、「京都所司代」でもありました。

そのため京では、いつしか定敬は「桑名中将」と呼ばれる事が多くなりました。

(水仙も咲き始めました)

そして、本📖の帯にも書かれています。

「朝敵とされ、(徳川)慶喜にも裏切られた男は、それでも抗おうとした」
「何故、朝敵と言われなければいけないのか、、
我らに何の罪があるというのか、、」

そうなんですよね、定敬にしてみれば普通に職務を全うしていただけなのに、、(つд`)

国許も、「新政府軍」に「恭順」の姿勢を見せ、
自分達は、「朝敵」になってしまった。。。

なので取り敢えずは、 大坂城から江戸、そして越後へ、、と、その辺の件が、序章から第3章に綴られていました。

しかし、あまりにも理不尽で切ない、、、


桑名藩には、越後の地に刈羽、魚沼、蒲原などの飛び地があったそうです。

そこで定敬達は、長岡藩の河井継之助の好意で、、
長岡藩が借り受けた商船で、「越後柏崎」を目指す事になります。

新潟に着いてからは、陸路で寺泊、出雲崎を経て柏崎を目指します。

柏崎で出された食事は、美味しかった!と🤤🤤🤤
流石、食の宝庫、新潟(^^;)(^^;)

そして、お手水の水も冷たく寒かったと(^^;)(^^;)

この辺の描写は、馴染みの地名も出て来て、一人ニヤけていましたよ(^^;)(^^;)(^^;)

そして、そして「恭順」か「抗戦」かの、定敬の最終決断は、、、?

 次回に、続きます。

では、また(^_-)