ハート・ロッカー』を観ました。
謂わずもがなの去年のアカデミー賞受賞作です。
監督のキャスリン・ビグローは『アバター』監督のジェームス・キャメロンの元妻で、夫婦対決でも話題になりました。
さて、イラク駐留アメリカ軍の爆弾処理班を描いた、いわゆる小隊物というやつです。
ジェームズ二等軍曹は独断専行型で、危険な現場でもロボットを使いません。
時には耐爆スーツまで脱いで、爆弾の解体をしてしまいます。
部下のサンボーン(黒人)は、自分たちまで危険にさらした、と怒り心頭、いつも喧嘩になります。
もう1人の部下、エルドリッジ特技兵はなにやらPTSDになっているようで、軍医のカウンセリングを受けております。
爆弾にも様々な種類があるようで、ジェームズ嬉々としながら解体していきます。
「赤(コード)か青か?」といった、よくある文明的な爆弾解体ではなく、もっと泥臭く、砲弾などを多用した原始的な解体作業です。
砂漠の中で孤立し、ゲリラのスナイパーとの対決など非常にリアルに描写されています。
砂漠の中で、ろくに瞬きもできずに、スコープを覗き続けるなど、体験者にしか分からない苦労でしょう。
荒廃した街中で、しぶとく生きるイラクのサッカー少年・ベッカムとの心の交流もあり、ジェームズが故郷に捨ててきた妻子のエピソードも伏線としながら、物語は進みます。
ジェームズは爆弾に使われた小さな部品を集めるのが趣味で、性格破綻者です。ジェームズも壊れています。
戦争映画が好きな人にはそれなりの見応えはありますが、『スターリングラード』や『プライベート・ライアン』みたいなスケールの大きさはありません
どちらかというと、狭い範囲で小規模の部隊を描く『ジャーヘッド』とか、『プラトーン』みたいなタイプの超低予算映画です。
思想性もなく、淡々と表現されておりますが、万人に受ける映画でもない気がします。
オスカーに相応しいのでしょうか? まあ、アバターよりはマシですが。
ところで、この映画を観ていてつくづく思ったのですが、アメリカもイラクも、どちらも狂ってます
アメリカはどうして世界中で嫌われるか(色々な国籍の人が三人以上集まれば必ずアメリカの悪口になります)、もっと良く考えたほうがいいでしょう。
そのアメリカに付き合うイラクの武装勢力も狂ってます。
千年前のイスラムの寛容は跡形もありません
ウィルソンズ・ウォー』という映画で、上院議員であるウィルソンが(この人はアフガニスタンを支援)、ソ連を崩壊に導いて冷戦に勝利した後に、政府の要人にあるアドバイスをします。
アフガンに学校を造れ」と。今までアフガンに供給した武器の百分の一の金額でした。
しかし、政府要人は誰一人耳を貸さず、911に繋がります。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と云いますが、経験にすら学ぼうとしないアメリカには暗然とさせられます。

山下貴光著『屋上ミサイル』を読みました。
またしてもこのミス大賞受賞作です。
女子高生・辻尾アカネを主人公とした世紀末青春小説です。
テロリストがアメリカの大統領を拉致して、核ミサイル基地を占拠しております。世の中は終末の様相を呈し、騒然としております。
そんな中、アカネ、ヤンキーで乱暴者の国重、恋する観察者の沢木、自殺願望のある毒舌家・平原の4人で屋上部が結成されます。
屋上の平和を乱す事件を解決するのが、屋上部の目的ですが、のっけから死体写真、拳銃、ストーカー被害が持
ち込まれます。
一見、何の繋がりもなかった事件が次第にリンクし、終局に向かいます。
キャラは非常に立っており、一気に読めます。
セリフもテンポ良くユーモラス脇役も光っております。

例えば近藤さんというテレビ解説者が、テレビ画面の中だけで登場するのですが、セリフが面白い上に、次第に荒れていく世相を反映して、近藤さんの行く末まで気になってしまうほどです。
ここまではベタ誉めですが、この作品には致命的な欠陥があります。
それは超が付く程のご都合主義で、ストーリーが進行することです。
偶然、手掛かりが舞い込む、犯人からわざわざ出でくる、そんなパターンのオンパレードです。
事件Aの犯人が事件Bにたまたま関わって、とか、事件Bの真相を知っている人物が事件Eでまた顔を出したり、と真面目に読んでいるのが馬鹿馬鹿しくなります。
重ねて書きますが、キャラは上手いです。読んでいて退屈でもないです。
でもギャグ漫画だってこんな恥ずかしいご都合主義はやりません。
作者はご都合主義を充分認識し、開き直ってキャラにセリフで突っ込みを入れさせていましたが、そんな安っぽい手法で誤魔化せるレベルではありません。
そういう意味で大賞を与えてしまうのはどうかと思います。
選考委員の中でも紛糾したのは頷けます。
「楽しければ、ミステリーとして致命的な欠陥があってもいいのか?」
単なるエンターテイメント賞だったら問題はなかったでしょう。
このミス大賞は一度きちんと基準を作り直したほうがいいでしょう。

30デイズナイト』を観ました。
ジョシュ・ハートネット主演です。
真冬のアラスカ30日は夜が明けない季節があります。
まさに吸血鬼にとっては絶好のシーズンです。
町を一つ一つ滅ぼしながら、吸血鬼の集団がやって来ます。
吸血鬼にも弱点があって、紫外線に弱いことと、首を斬られると死んでしまいます。
噛まれると、吸血鬼になってしまうのですが、吸血鬼はそれもコントロールしていて、犠牲者が吸血鬼になる前に首を斬っております。
夜が支配する町で、人々は銃やダイナマイト、パワーショベルで抵抗しますが、次々と殺されていきます。
所々緊迫するのですが、吸血鬼側もちんたらやります。
30日もあったのに、小さな町一つ全滅させられません。
最終的に町をまるごと焼き払うとなって、主人公と対決します。
ここで根本的な疑問があるのですが、31日目になったからといって、昼間がいきなり増えるわけではないでしょう。
徐々に増えていくのでしょうが、そんなにビビる必要はあったのか?
まあ、たとえ一時間だったとしてもリスクと捉えたのか?
時間の描写の仕方に大きな疑問符が付きます。
結論から申しますと、『竜頭蛇尾』という言葉がこの映画を端的に表してます。