母の四十九日法要で、一週間ほど東京に帰省していました。
日本に着いてからすぐに母が急逝し、
次の週からフルタイムの仕事が始まり、
娘の公立小学校編入、夫1週間の出張× 2回でフルで仕事をしながらの完全ワンオペ、
8月初めに夫の職員宿舎から一般の賃貸物件へ引っ越し、
夏休み明けから娘が通うインターナショナルスクールの準備と、
公立小学校の転校手続きを終え(ダブルスクールができそうです)
娘悲願のペット(ハムスター)も飼い始めて(娘の喜びようったら)、
息つく間もない日々でした。
お盆で人が少なく静かな東京で少しゆっくりするつもりが、
どうしても会いたい人とだけ約束したのに、何だかんだ毎日外に出っぱなしに
やっぱり娘と一緒の東京は楽しすぎる~
海外生活で私はよくエネルギー不足を感じていたのですが、
今はエネルギーが自然とわいてきて、多忙なのに疲労感がないのが不思議です。
安心できる環境と、自分がやりたいことをやれていて、家族や旧友、新しく出会う人達にエネルギーをたくさんもらえているからかな。
母の希望で、母の遺骨は実家近くのお寺に猫と一緒に樹木葬してもらうことになり(そして将来は私も同じお墓に入る予定)
先日家族だけで四十九日法要を済ませました。
弟たちは、いつもテンションが高くて喋りだしたら止まらない娘がじっと座っていられるか心配していたようですが(娘のイメージw)
鈍感力が高く空気を読まない娘でも、さすがにそこはしっかりしていて、
お行儀よく静かに座っていたし、お焼香もちゃんとできました。
私は娘に母とのお別れの機会をあげたかったのと、日本の法事を経験してもらうことはとても大事だと思ったので、
娘にはよくわからない行事だとしても、迷う余地なく連れて行きましたが、
なんと、お坊さんがアメリカ育ちの陽気な方で、娘と英語で話してくれました。
そして息子さんはベルリンにいらっしゃるとの話から、娘の今までの経験をとてもラッキーだと言ってくれて、これからもどんどん世界に出ていく事を勧めてくれました
お寺の空間
お庭の空気
お線香の匂い
お経の声
鐘と木魚の響き
どれも私の心を鎮めて癒してくれるものです。
母の死に目に会えるかどうかという時に、元看護士の友達が言ってくれたのが、
「死に目に会うことは、残されるものの癒しになる。」
という言葉で、後から本当にその通りだったなと強く心に残ったのですが、
今回の四十九日も、家族が集まって、母が大好きで熱心に勉強していた般若心経をお坊さんが読経してくれて、
母はきっと安心して天国(極楽浄土)に旅立っていけるだろうという、心の整理がつきました。
毎朝、母にお線香をあげてお祈りするのも、母のためではあるものの、その時間があることで、自分の心が安らかになるのを感じます。
それぞれ自分の生活に忙しい家族が集まることはあまりないので、こういった法事で集まる機会はありがたいです。
今まで知らなかったのですが、東京のお盆は7月中旬だそうで、初盆は来年7月。
母の急逝に際しては、兄弟が本当に頼もしかったし、みんなで集まって昔に戻ったような感じで懐かしく嬉しくもあったので、
次にみんなで集まるのは来夏かと思うと寂しいです。
突然の母の死に兄弟一同動揺しましたが、
母は、私達が小さい頃からしょっちゅう一人で泊まりの登山や趣味関連の旅行に行っていて、祖母がよく呆れていて
みんな、母が自分の好きな事を追求して好きなように生きたことを知っているので、
最後の数年は元気がなくてかわいそうだったけど、母は人生を思いっきり楽しんだよね、という気持ちも大きいのです。
私は自分の人生の最終目的地が決まったことで、心がすごく落ち着いたのは良いのですが、
私が東京の実家を心のふるさとと感じるのと同じように、夫はイギリスが恋しいだろうし、
娘は今のところイタリアが自分のふるさとと思っているそうで、
(日本で新しいお友達がたくさんできましたが、毎日イタリアのお友達からたくさんのメッセージがSnapchatというアプリで届く)
今後、ずっと日本ではないかもしれないとは思います。
でも、今は不安な気持ちはなく、
また海外に出ることもあるかもしれないけれど、私は最終的には必ず日本に戻って来るし、
娘が日本と同じようにイギリス/イタリアのルーツを大事にして、どこも自分が帰れる心のふるさとと思えるように、
うまくバランスを取りながら、やっと手に入れた日本生活を楽しんでいこうと思います。