シチリアを出るタイミングでブログは終了して、少し落ち着いてから一度日本生活のご報告をしようと思っていましたが、
忘れたくない出来事があり、
両親について一緒に心配してくださったり、思いを共有してくださった方もたくさんいたので、
記録と共に報告させていただきます。
(前回のコメントへの返信も近いうちにさせていただきます。遅れていてすみません。)
まず、無事に日本に到着して、新生活を開始しました。
金曜日の夜に目的地に到着して、土日は街を散策し、緑が多い素敵な街に心が弾みました。
日曜日の夕方、弟から、母が意識不明の状態になったというメッセージが届き、
折返したものの、電話が繋がらず、
夜9時過ぎにやっと繋がったと思ったら、
母は脳出血で倒れて回復の見込みがなく、
もっても翌日(月曜日)の午前中までだろうと聞かされました。
今から飛行機に間に合う時間でもないし、
翌日行くとしても、娘をどうするのか。
月曜日は役所と娘の学校(1ヶ月だけ公立の学校に入れます)の手続きがあり、
夫も今は毎日出勤しているので、
学校手続きが終わらないと、娘の行き場所がなく、
苦渋の決断ではありましたが、月曜の朝イチで行っても母の方は間に合わないと判断し、
役所と学校の手続きを終えてから、夕方、東京に向かいました。
午前中に連絡が来ることを見込んでいましたが、夕方になっても命はもってはいるようで、
出発の空港では「間に合うかもしれない」という期待に変わり、祈りになりました。
飛行機は少し遅れたものの、
降りた瞬間にダッシュしたら、タイミング良く電車に乗れて、
病院まで3本の電車に乗る必要があったのですが、頻繁に電車が来る東京とはいえ、全て絶妙なタイミングで電車が来て、
駅で待つことなく、母の病院のある駅まで到着しました。
当日中(深夜)に病院には着けるけど、帰りの手段がなくて(病院はコロナで宿泊禁止)
初めは上の弟が病院に来て、私を実家まで送ってくれる予定でしたが、途中で体調が悪くて難しいかもしれないと連絡が入り。
ここが海外だったら、夜中に一人行き場所がない事に怖気づいたかもしれませんが、ここは日本。
「日本なら余裕で何とかなるから、大丈夫!」
と返事をして、とにかく急ぎました。
ここが日本であることを、これほど感謝したことはなかったかもしれません。
日本で使える携帯をまだ用意していなかったので、空港を出てからは兄弟と連絡が取れず、
一人で病院に行くと思っていたら、
下の弟が駅の改札でずっと待っていてくれて、
上の弟と姉が、駅の外で車で待機してくれていました。
病院に到着すると、たくさんの管に繋がれて、目を閉じて横たわっている母がいました。
もっても午前中までと言われていた母は、まだ命はあるものの意識は全く無く、何にも反応しない状態で、
素人目でも、重篤な状態であることはすぐにわかりました。
それでもきっと、まだ揃っていない、いつも一人だけ出来が悪くて親不孝者の私の事を、
ずっと、待っていてくれたのだと思います。
本来は面会時間ではありませんが、特別にということで、十分程度ではありましたが、お別れをする時間をもらいました。
それから一旦実家に帰り、一眠りして目が覚めてもまだ病院から連絡がないので、もしかしたら奇跡的に、、、と少し期待しましたが、
心臓が弱くなってきたと連絡があり、病院に到着したときには、息を引き取っていました。
兄弟4人揃っていたので、お葬式の手配を済ませたその足で、介護施設にいる父に報告に行きました。
姉が、冷静にとてもわかりやすく今までの経緯を説明してくれて、父も初めはショックを受けていましたが、
私達が帰る頃には落ち着いたようすでした。
母は終活ノートをしっかり書いてくれていて、
お墓の希望が書いてあったので、みんなで2つお墓を見に行きました。
実家から歩ける距離にある、都会の中の、見晴らしが良い小さな庭園。
樹木葬を希望したとても母らしい場所でした。
初めは、母と、今年初めに亡くなった母のネコの二人用のお墓を探していたのですが、
弟が、家族で入れるお墓も良いねなんて言い出して、
家族用のお墓を見学させてもらった時、
あ、ここが私の心が最終的に戻ってくる場所だ、と、すっと心に入ってきました。
国際結婚して、海外を渡り歩いて、今は日本だけど、今後また海外に出る可能性も高くて、
自分がどこで死ぬのかもわからない。
でも、最終的には、ここに戻って来られたら、それまでは、全部、旅路。
一緒に旅をしてきた夫の魂はきっとイギリスに帰りたくて、私の魂は日本に帰りたい。
旅を終えたら、旅の仲間にお別れをして、お互い自分の帰りたい場所に帰ればいい。
そう思ったら、今までの心の霧が、すっと晴れていきました。
母の死が、私の心が最後に帰りたい場所を気づかせてくれたようでした。
迷いに迷った日本移住でしたが、イタリアにいたら母の最期に会えていなかったと思うと、それだけでも、帰ってきて本当に良かった。
急なお別れでまだ気持ちの整理がつきませんが、待っていてくれた母と、何とか私を間に合わせてくれた兄弟達に、感謝してもしきれません。
すぐ行くようにせっついてくれた夫と(学校手続きを夫ができたらすぐに行けたけど、それが望めないのは仕方ない)、
躊躇なく送り出してくれた娘にも。(学校では初日から3人友達を作り、「すごい楽しい!」そうで、もう本当に私がいなくても平気)
母はいつも私の事を「すごい強運の持ち主」と言っていたのですが、
海外生活で諦めていた、親の死に目に会うということ。(本来は親より先に死ぬという意味らしいですが)
今回は、母が運をはこんでくれたのだと思います。