車と水曜どうでしょうをこよなく愛し、北海道へ移住したいと願う、
私「おるとろす」の何気ない日常
お気軽にコメントしていってくださいませ~
がんばろう東北!がんばろう日本!!
ありがとう、そしてさようなら、我が愛車
前回の更新が2011年5月11日。約2年間放置していたのか・・・。
ほとんど見てくれる方がいないであろうこのブログですが・・・。
今回、車を買い替える事にしましたので、ケジメ的な意味も込めてブログを書いてみたいと思います。
長文駄文。読んだ甲斐は無いと思いますので・・・。
このGDBを購入して約6年。2回だけ買った事を後悔しました。
1回目は、東日本大震災の時。
ガソリンが満足に詰められず、なぜこんな燃費の悪い車に乗っているのか、と後悔しました。まあその後普通に詰める事ができるようになり、その後悔は徐々に薄らいでいきました。
2回目は、昨年の11月。
実家の母親から「お父さんの具合が悪いから、病院に連れて行って欲しい」と夕方に電話がありました。
以前から難病と戦ってきた父。目に見えて体力が無くなってきていました。
実家に着くと、具合が悪くて全く動けない父。
とてもではありませんが、母と二人で父を担いで車に乗せ、狭く乗り心地も悪い自分の車では病院まで行けません。
結局救急車を呼び、病院へ向かいます。
この時も、「自分は何でこんな車に乗っているんだ」と後悔しました。
そして父はその一ヵ月後、10年以上にも及ぶ長い闘病生活を終え、極楽へと旅立ちました。
父の死後、毎日自問自答をし、後悔し、自分を責めています。
車の事だけではなく、父の事、母の事、家族の事、嫁さん、そして自分の事。
「なぜ」「なぜ」「なぜ」と。色々考えては「自分が悪かったのだ」と。
もちろん、車の責任などではなく、私個人の責任。車に罪は微塵もありません。
自分が楽しかったり幸せだったりする事が、周りと決してイコールではないという事実。
結局私は自分の事しか考えていなかったという事。
それは周囲に対する甘えでしかないという事。
自分の幸せや楽しさよりも、自分の周囲の人を幸せにしたり楽しい思いをさせてあげられる様に。
それが自分の幸せに繋がるように。
自分は今、そういう立場にいるのだと。
百ヶ日を過ぎた今でも、まだ父の死を受け入れられずにいます。
実家に行けば、まだ家にいるんじゃないかと。
でも、実家に行けば笑っている父の遺影。
そこで改めて父の死を実感します。
嫁さんには、好きな車なんだし買い替えなくてもいいんじゃないか、と言われましたが、前述のような話をして、スポーツカーは好きだけどいつまでも乗っていられないだろう事を話しました。
同時に、「何年ぐらいか分からないけど、俺の言動をみていつか『うん』と思う時が来たら、その時は『好きな車に乗ったら』と声を掛けて欲しい」と伝えました。
・・・いつになるのかなw
思い出は、嫁さんと付き合っていた時に毎週末GDBを飛ばして会いに行った事。
行きは楽しみ。帰りは寂しい。
一緒に旅行に行った事も。プロポーズの時も。結婚式の時も。
GDBにお世話になった。
日々自問自答を繰り返し、行き着いた結論。
昨日、GDBは次に乗る車を買うお店に置いて来ました。
2003年式ですが、限定モデル無事故禁煙55,000キロ弱の低走行距離。次に乗る方に、もっともっと大事にしてもらえる事を祈って。
いろいろありがとう。そしてさようなら、GDB。
ほとんど見てくれる方がいないであろうこのブログですが・・・。
今回、車を買い替える事にしましたので、ケジメ的な意味も込めてブログを書いてみたいと思います。
長文駄文。読んだ甲斐は無いと思いますので・・・。
このGDBを購入して約6年。2回だけ買った事を後悔しました。
1回目は、東日本大震災の時。
ガソリンが満足に詰められず、なぜこんな燃費の悪い車に乗っているのか、と後悔しました。まあその後普通に詰める事ができるようになり、その後悔は徐々に薄らいでいきました。
2回目は、昨年の11月。
実家の母親から「お父さんの具合が悪いから、病院に連れて行って欲しい」と夕方に電話がありました。
以前から難病と戦ってきた父。目に見えて体力が無くなってきていました。
実家に着くと、具合が悪くて全く動けない父。
とてもではありませんが、母と二人で父を担いで車に乗せ、狭く乗り心地も悪い自分の車では病院まで行けません。
結局救急車を呼び、病院へ向かいます。
この時も、「自分は何でこんな車に乗っているんだ」と後悔しました。
そして父はその一ヵ月後、10年以上にも及ぶ長い闘病生活を終え、極楽へと旅立ちました。
父の死後、毎日自問自答をし、後悔し、自分を責めています。
車の事だけではなく、父の事、母の事、家族の事、嫁さん、そして自分の事。
「なぜ」「なぜ」「なぜ」と。色々考えては「自分が悪かったのだ」と。
もちろん、車の責任などではなく、私個人の責任。車に罪は微塵もありません。
自分が楽しかったり幸せだったりする事が、周りと決してイコールではないという事実。
結局私は自分の事しか考えていなかったという事。
それは周囲に対する甘えでしかないという事。
自分の幸せや楽しさよりも、自分の周囲の人を幸せにしたり楽しい思いをさせてあげられる様に。
それが自分の幸せに繋がるように。
自分は今、そういう立場にいるのだと。
百ヶ日を過ぎた今でも、まだ父の死を受け入れられずにいます。
実家に行けば、まだ家にいるんじゃないかと。
でも、実家に行けば笑っている父の遺影。
そこで改めて父の死を実感します。
嫁さんには、好きな車なんだし買い替えなくてもいいんじゃないか、と言われましたが、前述のような話をして、スポーツカーは好きだけどいつまでも乗っていられないだろう事を話しました。
同時に、「何年ぐらいか分からないけど、俺の言動をみていつか『うん』と思う時が来たら、その時は『好きな車に乗ったら』と声を掛けて欲しい」と伝えました。
・・・いつになるのかなw
思い出は、嫁さんと付き合っていた時に毎週末GDBを飛ばして会いに行った事。
行きは楽しみ。帰りは寂しい。
一緒に旅行に行った事も。プロポーズの時も。結婚式の時も。
GDBにお世話になった。
日々自問自答を繰り返し、行き着いた結論。
昨日、GDBは次に乗る車を買うお店に置いて来ました。
2003年式ですが、限定モデル無事故禁煙55,000キロ弱の低走行距離。次に乗る方に、もっともっと大事にしてもらえる事を祈って。
いろいろありがとう。そしてさようなら、GDB。
懐かしいな
数年前までありえないほどハマっていた「信長の野望online」。
廃人とまではいかないが、休みとなれば一日中やっていた。
当時は群雄サーバー(古いね)の(最終的には)浅井家に所属していた。
初めて浅井家が実装され、浅井家に移籍してからしばらく経ったある日。
「狩りに行かない?^^」と誘われた。
誘ってくれた人とはレベル差が10以上離れていた(相手が高かった)。ゲーム内の常識では、レベル差はあまり無い方が良かった(はず)。足手まといになりはしないか・・・誘いを受けてもいいものか一瞬迷ったが、せっかく誘ってもらったのだから、徒党を組ませてもらい狩りに出かけた。
誘ってくれた人を仮にBさんとしよう。Bさんの徒党はいわゆる「固定メンバー」で徒党が形成されていた。でも新顔の私にも気さくに話かけてくれたり、常に和気藹々としていて、楽しい徒党だった。これを機会にBさんたちと組む機会が多くなった。
ゲームの中で楽しい思いや嬉しい思い、悔しい思いを何度もした。とても楽しかった。
私が信onから離れて、もう3年以上が経つ。
当時一緒に組んでいた人たちのブログは、もう何年も更新されていなかったり、ブログそのものが無くなっていたりする。
懐かしい思いがすると同時に、寂しい気もする。
彼らの顔も実名も分からない。今もどこかで元気に生活しているだろうか。
ふと、戻りたくなる瞬間がある。あたかもそこが故郷であるかのように(大げさ)。だが、もう信長の野望onlineに戻る事は恐らく無い。戻っても知り合いはもういないだろうし、イチから始める程時間的余裕も無い。
何よりお嫁様が許してくれないw
「たかがゲーム」かもしれないが、その「たかがゲーム」で多くの人と出会ったり、ゲームでなければ経験できない事を経験する事ができたと思う。
「されどゲーム」
それも、自分を形成する一つの『糧』となっている。
廃人とまではいかないが、休みとなれば一日中やっていた。
当時は群雄サーバー(古いね)の(最終的には)浅井家に所属していた。
初めて浅井家が実装され、浅井家に移籍してからしばらく経ったある日。
「狩りに行かない?^^」と誘われた。
誘ってくれた人とはレベル差が10以上離れていた(相手が高かった)。ゲーム内の常識では、レベル差はあまり無い方が良かった(はず)。足手まといになりはしないか・・・誘いを受けてもいいものか一瞬迷ったが、せっかく誘ってもらったのだから、徒党を組ませてもらい狩りに出かけた。
誘ってくれた人を仮にBさんとしよう。Bさんの徒党はいわゆる「固定メンバー」で徒党が形成されていた。でも新顔の私にも気さくに話かけてくれたり、常に和気藹々としていて、楽しい徒党だった。これを機会にBさんたちと組む機会が多くなった。
ゲームの中で楽しい思いや嬉しい思い、悔しい思いを何度もした。とても楽しかった。
私が信onから離れて、もう3年以上が経つ。
当時一緒に組んでいた人たちのブログは、もう何年も更新されていなかったり、ブログそのものが無くなっていたりする。
懐かしい思いがすると同時に、寂しい気もする。
彼らの顔も実名も分からない。今もどこかで元気に生活しているだろうか。
ふと、戻りたくなる瞬間がある。あたかもそこが故郷であるかのように(大げさ)。だが、もう信長の野望onlineに戻る事は恐らく無い。戻っても知り合いはもういないだろうし、イチから始める程時間的余裕も無い。
何よりお嫁様が許してくれないw
「たかがゲーム」かもしれないが、その「たかがゲーム」で多くの人と出会ったり、ゲームでなければ経験できない事を経験する事ができたと思う。
「されどゲーム」
それも、自分を形成する一つの『糧』となっている。