被災その後16、被災後初めての実家 | どこからつっこめば_(:3 」∠)_

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実家の保険屋との話し合いの日取りが決まり、母親とワシと犬で現地乗り込み。



何故、犬同伴なのかと言うと…息子はリモート授業があるので同伴不可(休ませれば問題無いとは言え、コマ数の少ない状況を考えると休ませたく無かった)。

幸い、ドライブ大好きな犬なので、休み休み散歩させながら向かえば問題なし。

猫達のめんどうを息子に託し、奥能登へ向かう。



…いやー…8号沿いの渋滞は金沢に住んでた時に何度か体験してたけど、やっぱりキツイ。

渋滞が無い時間帯なら15分のところ、50分ぐらいはかかる。

しかし、今滞在している地域は加賀市で、高齢者の母親の体力を考えるに最適な時間配分を考えると、どうしても金沢で渋滞に巻き込まれる時間帯でしか出発出来なかった。

能登に向かう間に一番気にしたことは、最後のトイレはどこだ!?って事。

西山インターが一番最後らしく、西山インターでトイレ休憩と犬の散歩をして、能登に向かった。

加賀市を出発したのが朝7時前で、到着が11時半ごろ。

思ってたよりスムーズに行けたと思う…そもそも、輪島から脱出した時の「普段なら1.5時間の距離を10時間」の記憶があり、感覚も麻痺している。


一番びっくりしたのが、能登町(母親が住んでたワシの実家)付近は、道路が普通だったこと。



一部崩落したり崖崩れ起きてたりもあるけど、車は普通に走れる。

亀裂もほとんど見えない…ゆーたら、倒壊家屋もほとんど無い…えっ、隣の市町村ってだけでこんなに違うのか?ってびっくりした。



その景色から一変したのが実家付近。

実家は輪島市の境目と隣接しており、ちょっと歩けば輪島市の位置。



輪島市に近い地域だけあってか、輪島市で見た様な光景が広がっていた。

過疎地域で住民のほとんどが高齢者、その少ない高齢者も避難所へ身を寄せているからか、未だに道路は放置されている部分が多い。

実家はどれぐらい損傷があるのか…と、見たら

フツーに建っとるやーん

いや、もうちょっとあの、崩れてると思ったら平気そうやーん

公費で解体できるぐらいを期待してた…(※輪島の地獄を想像してきてたので、もっと酷いもんだと思ってた)




でも、中はひどいもんです。

雨漏りで天井はもたれかかってる様な有様で、トイレやお風呂は本体である家屋から数センチ離れてその隙間に雨水が垂れ流し。

母親がここから逃げる前までは大丈夫だった窓も、続く余震のせいか地べたに落ち、大開放されたその窓のところからは雨水が入り込み。

「靴は脱いだら揃えて入りましょう」って、保育所ぐらいの年齢で教え込まれるでしょ?日本ならば。



でも、靴のままじゃ無いと、危ないから…って、幼い頃から育った家に、土足で上がったのはなんか…気持ち的に良く無かったね。


実家の墓も、墓石がぶっ飛んで崖に落ちたとかで、なんとか崩れなかった実家の仏壇の前で線香もつけずに手を合わせた(お線香もマッチも、雨漏りでしけっててつかなかった)。



こんな時だから、これぐらいしかできないから、勘弁してな、おとーさん、と、先祖。


今はコレが限界、また参りに来るからね…と、言い訳しながらお参りした。



保険屋との話し合い?も終わり、そこから役所に行ってなかなか発行されない罹災証明の確認→能登町はやっぱ発行に遅れがあるらしい事を確認し、加賀へ向け車を走らせる。



2次避難のところに着いたのは午後7時半。

今日の運転の日当だよーと母親がお金を渡して来た。



一度は断ったが、この2次避難所に来てから、月にどれぐらい出せばいい?とかずっと言ってた事を思い出す。

世話になるけど世話になりたく無いって奴なのかなぁ…犬は母親に懐いててこっちはこっちで助かってるんだけど、なにもしてないってのが負担になるかもと思って、日当と出したお金は受け取っておいた。