対馬・豊玉町妙見の大釜
 
 江戸時代、対馬は捕鯨が盛んで東西の対馬海峡に鯨組が納屋を設けていました。
東西の両水道(海峡)に納屋を設置したのは北上と南下ではコースが
異なっていたからです。鯨社会にも季節により交通ルールがあり
厳格に守られていたようです。
 
 鯨組の史跡としては、島内各地の墓石などが残っています。
美津島町の芦ケ浦の雷浦には墓石や岸壁、係船柱などが残っており貴重です。
小綱の浦には鯨を神楽桟(かぐらさん)で陸上に引き上げる際の石畳が
残っていたそうですが、近年の工事で壊されました。残念です。 
 
 鯨組の文化を色濃く継承しているのは豊玉町廻で、
多数の鯨が捕獲され景気が良かった頃は「ハイヤ節」などを唄い
ドンチャン騒ぎをしたのでしょう。    
多くの民謡が伝わっています。
 
 廻と同じ湾内の奥に妙見地区があり妙見神社があります。
その拝殿には鯨組が奉納した絵馬がありました。
鯨組で財をなした亀谷氏が寄進したと伝わっています。
 
 かつて、同神社から少し離れた海岸に大きな釜が
ポツンと転がっていました。人一人が乗って海に
浮かべることもできるほどの大きさです。
 
 現在、大釜は行方不明になっていますが江戸期に
鯨組が炊事に使用していたのかも知れません。一般の家庭には
大きすぎます。大釜は100人分以上の御飯が炊けたことでしょう。
 
 鯨組の道具などの資料は意外と残されていません。また、
鯨組が必要とした樽や銛などを作る作業場の存在も不明になっている。
納屋場は鰐浦、伊奈、小綱、廻、小槻、芦ケ浦などにあったそうです。
 
鯨組の遺品かは不明ですが、大釜の写真でも見てほしいと願っています。
 
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