ニュースを見て不安に思うこと

あり得ないだろっ!人の命よりその場のノリなんていらねーよ!


https://gendai.media/articles/-/130312

小社会では独特の「よい」と「悪い」が成立している。彼らは、自分たちなりの独自の「よい」「悪い」に、大きな自信と自負を持っている。それは、きわめて首尾一貫したものだ。

この倫理秩序に従えば、「よい」とは、「みんな」のノリにかなっている、と感じられることだ。

いじめは、そのときそのときの「みんな」の気持ちが動いて生じた「よい」ことだ。いじめは、われわれが「いま・ここ」でつながっているかぎり、おおいにやるべき「よい」行為である。いじめで人を死に追い込む者は、「自分たちなり」の秩序に従ったまでのことだ。

大勢への同調は「よい」。ノリがいいことは「よい」。周囲のノリにうまく調子を合わせるのは「よい」。ノリの中心にいる強者(身分が上の者)は「よい」。強者に対してすなおなのは「よい」。

「悪い」とは、規範の準拠点としてのみんなのノリの側から「浮いている」とかムカツクといったふうに位置づけられることだ。自分たちのノリを外(はず)した、あるいは踏みにじったと感じられ、「みんな」の反感と憎しみの対象になるといったことが、「悪い」ことである。

「みんなから浮いて」いる者は「悪い」。「みんな」と同じ感情連鎖にまじわって表情や身振りを生きない者は、「悪い」。「みんなから浮いて」いるにもかかわらず自信を持っている者は、とても「悪い」。弱者(身分が下の者)が身の程知らずにも人並みの自尊感情を持つのは、ものすごく「悪い」。

それに比べれば、「結果として人が死んじゃうぐらいのこと」はそんなに「悪い」ことではない。他人を「自殺に追い込む」ことは、ときに拍手喝采に値する「善行」である。

もっとも「悪い」のは、「いま・ここ」を超えた普遍的な次元への「チクリ」と、個人的な高貴さである。そういう者は徹底的に苦しめなければならない。彼らはそのような「悪い」者を、「いじめ=遊び」の玩具として思う存分痛めつけ、辱め、あらたな全能感ノリを享受しようとする。


もう本当になにもかも、まったく意味がわかりません!

なぜ、こんなあり得ない思考が当たり前のようになってしまったのか、本当に信じられません!

まさに「権威主義的パターナリズム」ですよね。

https://ameblo.jp/orokadaneningenwa/entry-12846333342.html

人びとは「権威主義的パターナリズム」が自分たちの側についてくれているときの頼もしさや心強さや安心感や高揚感にひたりすぎてしまった。それを他人に振りかざす快感に夢中になるあまり、それが自分たちに向かってくるときの恐ろしさをすっかり忘れてしまった。

さらに、冒頭の記事には、以下のような内容がありました。

「みんなから浮いて」いる者は「悪い」。「みんな」と同じ感情連鎖にまじわって表情や身振りを生きない者は、「悪い」。「みんなから浮いて」いるにもかかわらず自信を持っている者は、とても「悪い」。弱者(身分が下の者)が身の程知らずにも人並みの自尊感情を持つのは、ものすごく「悪い」。

これって、まさに「私そのもの」ですわ。

なるほどなるほど、だから「村八分」にされ続けたり、「冤罪」をかけられりたりしているってことなんですね。

ふーん、それでいいんならいいですけど、その「ノリ」ってやつが、昭和戦前期みたいになったら、こういう人たちはいったいどうすんでしょうかね?

「一等国」意識や世界大戦(第一次)以降の「五大強国」入りで自己認識を肥大化させていた多くの国民にとっては、「強国」としての一層の拡張を望む威勢のいい声のほうが心地よく感じられたのである。あるいはむしろ、困窮しているからこそ強国意識に固執していたというべきなのかもしれない。

結局、「心地よければなんでもいい」ってことですからね。

そして、この記事では、「いじめ」を学校における中学生特有の形で紹介されていますが、絶対に子どものせいにしてはダメなんです。

大人たちがずっとずっと、そして今でも、そういうことをしているから、こうなったんです。

だからだからだからぁー、「いじめ」はもちろんのこと、「権威主義的パターナリズム」を今すぐやめてくださいっ!_|\○_オネガイシヤァァァァァス!!

♪ゴミ箱に捨てられた精液 一目で解るこいつらの性癖 多勢に無勢とかくそウゼェけど 有象無象なのは俺も同族♪


以上になります。


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