いま気になってること

「権威主義的パターナリズム」の快感なんてもんはいりません!


https://president.jp/articles/-/79803

厚生労働省は2024年2月「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を発表した。文筆家の御田寺圭さんは「喫煙や飲酒など、『健康には悪いけれど、たのしいもの』を排除していく社会の流れがある。この流れが加速すれば、排除の対象は広がっていくだろう」という――。

コロナのパンデミックが収束したあと、「健康を維持すること」はいずれ個人の努力目標ではなくなり、全社会的にすべからく達成すべき「モラル」に格上げされる。健康を害するかもしれないが個人的には楽しいものを享受する自由は、社会のインフラや秩序の維持を優先するという論理のもとで、じわじわと規制されていくようになる。タバコ、アルコール、肉食、カフェイン、あらゆる嗜好しこう品はその「有害性」によって、個人がそれを楽しむ余地は失われていくことになる――。

(中略)

リベラルや保守といった党派性にかかわらず、人びとは「権威主義的パターナリズム」が自分たちの側についてくれているときの頼もしさや心強さや安心感や高揚感にひたりすぎてしまった。それを他人に振りかざす快感に夢中になるあまり、それが自分たちに向かってくるときの恐ろしさをすっかり忘れてしまった。

歴史を振り返ると、なぜ近代以降の人間社会で全体主義や独裁主義がしばしば「民主主義的に」支持されたのか。いまならその理由がよくわかる。

今の日本社会、まさにこの記事のとおりでして、安心感や高揚感にひたっている人たちが、マジで異様に目立ってきています。

一番わかりやすいのは、喫煙者に対する『群れ』た人たちの態度です。

私は数十年前からの喫煙者なので、こういう人たちから「なんでタバコなんて吸ってんの?あんたバカなのwww」という態度を、ほぼ毎日されています。

これはたしかに間違いなく、新型コロナウイルスのパンデミックが収束したあとからのことです。

タバコ呑みが吐き出す煙にも酒飲みの繰り出す騒音にもフラストレーションを溜め、さんざん迷惑をかけられてきたと考える人からすれば「ようやくアイツらにただしく社会的制裁が下される日が来たか!」と快哉かいさいを叫ぶことになる。

私たちはこれから、市民社会における「わるいけど、たのしいもの」を楽しむ自由を守るよりも、「ただしい側のメンバーである」ことを選んでしまう

結局は、いわゆる『群れ』ですよ。

戦時中の「投書階級」と同じ社会が、今すぐそこに待ってることをヒシヒシと感じています(°̥̥̥̥̥̥̥̥Д°̥̥̥̥̥̥̥̥ )

https://ameblo.jp/orokadaneningenwa/entry-12845451767.html

でもね、それって「群れることで自分が退化している」「自分で自分の首を絞めている」んだってことに、早く気づきましょうよ_|\○_オネガイシヤァァァァァス!!

これからの日本社会が、

  • 「ヘビメタうっせぇんだよ(怒)」とか
  • 「格闘するとか頭おかしいんじゃね(笑)」とか
  • 「タトゥーとかピアスってダッセー(笑)」とか

になって、みーんなが同じフォークソングとかを聴いて、みーんなが同じ曲を踊り出したりしたら、私はマジで生きてる意味がなくなります(°̥̥̥̥̥̥̥̥Д°̥̥̥̥̥̥̥̥ )

♪もし僕が正しくて君らが間違いなら 僕らは戦う運命にあるの? 僕らはいつも「答」で戦うけど 2つあって初めて「答」なんだよ♪


以上になります。


【語句の意味】

※ChatGPT Plus(GPT-4)より引用

権威主義は、社会、政治、組織などのさまざまな文脈において、集中的かつ強力な権力や支配を行使する体制や思想を指します。権威主義的なシステムや政府では、権力はしばしば少数の指導者やエリートに集中し、個人の自由や異議申し立ては制限される傾向にあります。

権威主義的な体制の特徴には以下のようなものがあります:

1. 強力な中央集権的支配:政治的権力は一人または少数の指導者に集中しており、彼らの決定は広範囲にわたる影響を持ちます。

2. 個人の自由の制限:表現の自由や集会の自由など、基本的人権や自由が制限されることが一般的です。これには、政治的反対勢力への抑圧やメディアへの統制も含まれます。

3. 法の支配の欠如:法律はしばしば指導者の意志によって曲げられ、公平かつ一貫した適用が保証されません。法律よりも指導者の権威が優先されることがあります。

4. 公民権の抑圧:権威主義的な政府はしばしば市民社会を制限し、政治的参加や批判を抑圧します。

権威主義は、民主主義や自由主義と対照的な政治体制とされ、権力の分散やチェックアンドバランスの原則、個人の権利と自由の尊重などが強調されるこれらの体制とは異なります。歴史を通じて、多くの国家や組織が権威主義的な特徴を示してきましたが、その度合いや形態は大きく異なります。権威主義的な政治体制下では、国民の権利と福祉が脅かされることがしばしばありますが、一方で社会の安定や秩序維持の手段として正当化されることもあります。


パターナリズムは、他者の利益や福祉を守るためという名目で、個人の自由や選択を制限する行為や態度を指します。これは、人が自分自身の最善の利益を理解していない、または適切な選択をするには無力であるという仮定に基づいています。この概念は、政府や他の権力構造による介入、職場での管理スタイル、さらには個人間の関係においても見られることがあります。

パターナリズムには、主に二つの形態があります:

1. 強制パターナリズム:人々が自らを害から守るために、特定の行動を強制的に制限すること。例えば、ヘルメットの着用義務やシートベルトの着用義務などがこれに該当します。

2. 福祉パターナリズム:人々の福祉を増進するために、特定の選択肢を奨励または制限すること。例えば、健康的な食生活を推奨する公共のキャンペーンや、禁煙を促す法律などがこれに当たります。

パターナリズムは、個人の自由と社会的福祉との間の緊張関係に関連する倫理的な問題を提起します。一方で、人々の健康や安全を保護するための有効な手段として見られることがありますが、他方で、個人の自律性や選択の自由を不当に制限すると批判されることもあります。

【関連記事】

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/03/29/kiji/20240329s00041000335000c.html

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0a03c6dfaf57057c28402e7337c33751809e5699


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