M&SSの再起動ー23(まさるが海外派遣時代から交流) | ∞心機一転まさるの日記∞

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規律の厳しい役所を退職し自然豊かな山間の温泉町に道場を造りスタートしました。しかし元職からメールが一通!堅い仕事の師範役に逆戻り!

カンさんたちの仕事も、厳しい法規制の下ギリギリの妥協点を見つけて、相互に”目配り〟”気配り〟の中で運用されている。

 

カンさんは貿易会社の交通部門で、クルーザーの管理運用を担当した経緯から、起業し現在も交流があり、海上移動や顧客の接待などで便宜を図り優遇されている。

 

同業先輩のショウさんと分担しながら、専属ではないが大型のオーダーの場合はカンさんが配船、違う顧客が外洋航路を乞う場合は、安全性を優先し大型のカンさんが対応することにしている。

 

そういう場合は、マイルドではなく結構なチャージフィーで、カンさんが大型を導入してから、正規の運行より収入が桁違いになっている。

 

怪しげな客の場合、予めショウさんに依頼し助手の名目で助っ人を乗船させ、安全運航を目指す、時にはカン縫製会社のシン警備主任に声を掛け、バイトを頼むことも有る。

 

 まさるが入庁直後に台北で遭遇した事件で、〇事館の応援に研修生が3人派遣され、イレギュラーな追跡業務があり、香港からマカオまで臨時外交官とした経験があった。

 

本庁の現役管理官に同行し、〇事館の情報と現地の海事局や○○〇備艇に便乗して、大陸の沿岸沿いを逃亡者を追った。

 

容疑者は地理に詳しく、漁船やクルーザーを調達して、〇南島近くまで追跡した。

まさるの新人時代の海外派遣ににも、海上旅客運送でお世話になったのが、カン・ソンシ(榊原修二)さんで個人営業で依頼者の要望通り、時間外でも運行し〇国語が堪能で、当初〇国生まれの人と勘違いしながら付き合っていた。

 

〇国人の助手が乗船して居たので、まさるに話しかける時は小さな声で、〇本語で状況を話して呉れまさるが新人の役人だと気づき、〇本人として自然なかたちで地理や地元の司法の情報など丁寧に話、逃亡中の漁船が逆に猛接近しても、適切に操船相手の船腹にキッチリ寄せて強硬乗船して船内捜索も捗った。

 

カンさんのクルーザーは通常のパワーではなく、密かにエンジンをバージョンアップしレーダーは外洋の航行にも不自由なく、無線と衛星電話を装備し船腹を補強強化して、通常のクルーザーとは少し重くなったが、頑丈である。
 

船舶検査(船検)は、ディラーに任せるがパワーアップも外装補強もパスしている。
深圳で始めた海上運送も軌道に乗り、交友が広がり公的機関からも声が掛かったり、裏の世界からも友人を通してお客の要望に応える。

 

カンさん一家が深圳で遭遇した事件の経過が、裏社会にも伝わり残虐行為に関与した人間が追われて、香港の場末のドヤ街に逃げ込んだ。

そこは裏社会の根城で、追っていたカン縫製のスタッフを手伝ったのが縁で、付き合いが続き、その時のチョウ組長とは今でも、情報交換がある。

 

誠実なカンさんは口が堅く武道はプロ級で、頼まれた仕事は手抜きせずカタを付けるので信望が厚く、やばい人物の移動などにも利用してくれる。

海上輸送の運行時間は、8時~18時だがカンさんは非公式な仕事も、気持ちよく運行するので信頼されている。

 

まさるたちが協力要請したときは、会社を休業扱いにして昼夜張り付いて捜索活動に従事、沖合で待機する時は俄かシェフになってランチを提供する船長さんだった。

まさるも、大学時代から英語にフランス語と中国語を学び、会話程度は不自由しないが新人時代のカンさんからのさり気ない協力が信頼関係になった。

 

本庁よりアジアの事案を多く扱う内に、海外に拠点を設け情報の収集と事案の究明なども担当し、個人的なアジトを3か所ほど設定していた。

 

ホンコンでは、カンさん夫妻とも付き合いがあったが、シンガポールに滞在が長くそれだけ事案が多ったようだ。

 

カンさんは4人家族なってマカオに居を移したが、子供の教育が気になり、長男のシュウジンくんをシンガポールに留学させ、2番目のハーウインちゃんも小学高学年になったら同じように留学させることを考えている。

 

ユウリンさんは寂しがるが、風紀の乱れたマカオや香港の空気は養育上芳しくないし、両親を失ったユウリンさんは幼児時代から日本語に馴染んでいるので、日本行き希望だった。

カンさんも、今の仕事が順調なので将来を見据えて、静かな国に移住する気持ちがあり生まれた長野は少し寒すぎるが、東京などは香港マカオと差が無いので、田舎の条件の合う場所を模索している。