第4章 マイクの匿名入院
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「皆さん、ただ今から、オロフレの原生林から生還した、マイク・サタケさんの記者発表会を、
開催します」
わたくしは、登別国立病院の佐々木といいます。
「今回の、救出治療に大英断で対応して頂いた、柏木院長にご挨拶をお願いします」
「柏木です。本来、軍人さんが怪我をした場合、軍関係の病院に搬送するのですが、
地理的な問題と一時収容先が元整形外科部長の和田先生のところで、国立病院に
搬送していただきました」
「検査や治療中の刺激が効果的の作用し、次第に記憶も戻りこの日を迎えることが
出来ました。まだギブスを巻いたばかりなので、復帰までは時間がかかりますが
この通り元気になりました」
「昨日、千歳の部隊本部リチャード少佐と話、継続治療を了承して貰いました」
「ただ今、院長より病院収容以降の、お話がありましたが、事故直後から病院までの
救助活動に関わった人たちを紹介します。左側から、アメリカ陸軍少尉マイク・サタケさん
、登別小学校カルルス分校桧山健司君、カルルス温泉在住谷沢千治さん、元登別国立
病院整形外科部長和田信吾さん、以上4名の方々です」
最初に、当事者のマイクさんから、お願いします。
「マイク・サタケと言います。わたくしは2日前まで、クリードと呼ばれていました。和田先生
が、名無しでは治療できないので、信頼の意味を込めてクリードと付けて呉れたようです。
事故は、野戦の演習で、オロフレ峠のお花畑の脇を、ジープで走行中に落石に会い、避け
ようとして道路脇の岩石に衝突、空中に飛ばされたようです。」
「気づいたのが、原生林の中で全身創痍で、左足は痺れて感覚がありませんでした。意識が
戻った時、桧山君や谷沢さん、介抱して心配そうに世話をしてくれるのが、理解できず混乱
していました。呼びかけられても自分の名前が答えられず、ショックでした。
桧山君が良く「兵隊さん』と呼ぶのですが、本当に軍人なのだろうか?山小屋にいたのは、
ぼんやり思い出しますが、夢の中のようです」
佐々木部長が、「マイクさん、まだ全快ではないのでこれくらいにして、空中を飛んで居た
マイクさんを、藪の中ら救助した桧山健司君からその模様を聞いてみます」
「カルルス分校の桧山健司といいます。
マイクさんと会ったのは、祖父の山小屋に遊びに行き、帰ろうとした時です。峠の方で
大きな音がして、何か落ちたようでしたが、あの辺はヒグマの通るケモノミチがあるし、近寄
らないことになっているので、急いで離れようとしました」
「でも藪が少し動き、人の声がするように感じたので、耳を澄まして地面に伏せて待ちました。
5分くらい待っても誰も来ないし、家の方に歩き出すと、また、苦しそうな声が聞こえ、さっきの
大きな音で誰かが落ちてきたのかと思い、声のする方に進みました。
ヒグマならざわざわと歩きますから、ヒグマでは無そうでした」
「10メートル位先の根曲り竹の倒れた上に、緑色の服が見えますが、ほとんど動かないが、
近寄るのは怖いので、頭を下げて様子を見ていました。
最初も5分位待ちましたが、動く気配がないので近づく事に決め、立たずに這いながら、
1メートルくらい手前で「大丈夫ですか」と声をかけました。返事はありません。
体に触れるところで、もう一度「大丈夫ですか」と声をかけた。それでも動かない」
「私は、立ち上がり顔を見たが、あっちこっちに傷があり、血が流れ、左足は不自然な
形で曲がり、。良く見るとベルトにピストルとナイフがケース入り、小さなカバンみたいなものがありました。この人は死んだんだと思いました」
「念のためもう一度、肩に手を揺すってみました。
すると、フッートと息を吐き頭が少し動いた。
生きてるんだーと後ろに下がると、藪の中に転げてしまいました。
本当に怖かったです」
「でも、それ以上は動かず、肩で息をしているようです。怖いのですが危険を感じない
ので、にじり寄ってもう一度顔を覗き見すると、目は開いているのだがボーと遠くを
眺めているようでした」
ここで佐々木部長が「桧山君、一呼吸入れようか」とコップに水を次いで呉れた。
健司は、一気に半分位飲み干すと、会場から小さな拍手がわき、続いて大きな
拍手になった。
佐々木部長が、「クライマックスで水を差してごめんなさい、もう少し進んだらお祖父さんに
交代して貰いますから、頑張ってください」
「はいっ、ここでは名前が分からないので、兵隊さん大丈夫ですか?ともう一度、
念を押したが僕を見る眼は、何を見ているのか分からず、夢を見ているような目でした」
「肩に手をかけるのも恐々でしたが、また揺すってみると苦しそうな顔で「あなたは
誰ですか?」「わたしはなぜ此処にいるのですか?」とかすれた声で聞いてきました」
「僕は、驚いて「エッ」と声をだした、外人の兵隊と思ってたのが、日本人だったのだ。
頭が混乱してきた。それを聞きたいのは僕ですと、言いたかったのですが、相手は
かなりの怪我をしているので、「私は桧山健司です、ここは、オロフレ峠の下です」と
答えると、「健司オロフレ」とつぶやくように言ったが、それ以上は続かなかった。
「何しろ、体を横たえたままで、相当な怪我なのだろうと思いながら、これからどうしたら
いいのだろうと考えながら、兵隊さんの顔をみながら、このままにいてはヒグマに嗅ぎ
つけられ、襲われそうだ」
「もう日差しはなく、夕暮れは直ぐで焦りながら、山小屋まで運べば考えたが、自分の2倍
くらいありそうな、外人をどうして運べばいいのか・・・自分も膝をついていましたが、両手を
地面に付けた時、思いつきました」
「自分の背中にのせれば、上手くゆきそうだ。直ぐ話しかけました「兵隊さん、僕の背中に
乗ってください、近くに小屋があります」言ったが、兵隊さんは気力がないのか、目をつむって
反応がありませんでした。なんとかあの崖下の小屋まで運ぼうと、体を揺すって繰り返し話しかけました」
「額に手が触れると、ものすごい熱で顔も赤くなっていました。熱でうなされ意識がモウロウ
としているようだ。話しても無駄なので、兵隊さんの脇に体を寄せながら、自分の体を下に
入れて両腕に力を入れて、這い出しました。左足を竹の根元に引っ掛けたとき、「ウッツ」と
声を出して気づきいたようでした。まだ5-6メートルしか進んでいません」
「僕は、痛んだ足をまた痛めたのかと、気になりましたが兵隊さんは、片手で腰のバック
を探っていたが、「これを使ってください」と皮の手袋を出した。僕の両手から、血が流れて
いることに気づいたようでした。はめてみるとぶかぶかで物はつかめませんが、地面を
あるくには丁度いい感じでした」
「兵隊さんが意識が戻り協力的なので、さっきより軽くなったような気がしました。また歩き
始めましたが、誰かに見られている気配を感じ、上を見上げました」
「祖父が怖い顔で見下ろしています」
健司が、司会の佐々木部長の方を見ると、ちょっとうなずき
「はいっ、この続きはお祖父さんの谷沢千治さんにお願いしましょうか」
祖父に代り、健司はコップを引き寄せ、水を飲んだ。
「孫の帰りが遅いことを、桧山さんから聞ききっと山小屋だろうと思いましたが、帰りは必ず
明るいうちに戻ることを条件に、一人歩きを許していました」
「兎に角、急いで小屋近くまで来ますと、何かぼそぼそ話しながら地面を引きずっているよう
でした。近づいて驚きました。大きな軍人を背中にのせて這っているのが、孫でした」
「大体の状況が分かったので、直ぐ交代して私が背負い小屋に収容、小川から水を汲んで、
打撲部分を冷やし、切創部分は伝来の傷薬を塗り、左足の骨折は脛骨が折れ、腓骨は
折れていないので、添え木を削ったりいているうちに、夜が明け始めました」
「常備の、缶詰や干柿で腹を満たし、マイクさんに質問しましたが、記憶が切れているようで
私は誰ですか?私が「あなたはアメリカの陸軍少尉だと思いますよ」と言うと、私は兵隊
ですかと私たちに聞いていました」
「私は、このままでは症状が悪くなるようなので、和田先生に相談に行きました。直ぐは運び
出せない場所なので、手伝いを探しますので、応急の薬をいただき、白老の知り合いに
出かけました」
「その日は、岩井屋さんで食事の出前を作っていただき、アイヌの若い人たちの応援で、
和田先生の別荘に収容、処置していただきました」
「この続きは、和田先生と本院の先生方の話になるので、省略します」
佐々木部長が、「これで今回の事故の結末までが、公表されたわけですが、何かご質問は
ありますか」全国紙Aの支社の記者が、
「被害者と言うか、怪我人がアメリカの将校なのに、軍の関係者が出席していないのは
なぜです」
「はいっ、実は、制服では目立ちすぎるので、私服を借りておいでのお二人です、ご紹介
します」
佐々木部長が、英語で呼びかけると一番後ろの席で2人の外人が立ち上がり、自己紹介を
した。一人が座り、もう一人が
「今回は、演習の事故に民間の住民を巻き込み、大変申し訳ありません、聞くところによると、ご自分も生死に関わるような体験をしながら、救助作業に邁進していただき、本当に
ありがとうございます」
佐々木部長が、自分のメモを見ながら通訳した。
「本来なら、部隊本部の責任者がお礼に伺う予定でしたが、昨夜東京に呼ばれて代理で私、
ジム・カーソン大尉が出席しました。
司令部付のウエル・リチャード少佐が、ことらとお約束してあるので、東京が、落ち着いたら
必ず伺う事を伝えるように、言われました。
みなさん、本当にありがとうございます」と、頭を下げる礼をした。
佐々木部長が、後一つか二つお受けしたいと思います。
手を挙げたのは、地方紙の記者で「マイクさんは、私たちより上手な日本語を話すのですが、日本で育ったのですか?」
マイクが、手を挙げ「私は日系三世で、祖父母も同じ屋敷で暮らしていますので、家では
日本語、一歩外に出た場合は英語と使い分けていました。弟もいますが同じように、日本語
は不自由なく話せます」
「じゃ、もう一件で終わりにします」
やはり地元紙の記者から、「桧山健司君は、12歳で6年生と紹介されましたが、私の息子
は中学3年ですが、健司君より貧弱で話すことも幼稚です、何かコメントはありませんか?」
佐々木部長は、にやにゃ笑いながら、うなずいている。
「特別何もありませんが、学校でも対抗試合などで、言われます。家系かも知れませんが、
父も大きな人で、お祖父ちゃんもこの様に大きな人ですから。
僕は6歳ごろから桧山道場で、柔道の稽古をつけて頂いています」
佐々木部長が「はいっ、これで今回の事故から救出・入院までの記者発表会を終了します」
と閉めた。