「同性婚認めて」と人権救済申請 455人が日弁連に
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同性婚を認めよという集団がまたぞろ現れてきた。
認める/認めないは、宗教・国家・個人・団体など、どのくくりで容認/否認するかにもよると思うが、まさにこの455名の言うとおり、これは人権というものの境界線を定める行為だ。
極論をすれば獣婚をさせてくれ、というのも個人の自由だし、その個人が人権の範囲内と主張することもできる。関連する話で言えば、アメリカではペットへの遺産分割を認めた例があるが日本では人と認めていないので無理だ。さすがの偽人権派弁護士が支配する日弁連も獣婚は相手にしないのではないかと考える。
つまりは人権はまともな人間の権利だということで、これは社会通念と整合性が取られているということだろう。婚姻は長い人間社会の歴史の中で、基本的には異性婚が結婚とされてきた。
人権 = 人間として認められるべき行為はどこからどこまでなのか = まともな人間なのか、が論点となる。
ここで視点を変えてみよう。
一般の異性婚の場合で、婚姻の破綻の原因の一つに性行為の途絶があげられる。婚姻はおのずと自然な性交渉があるものだからだ。
しかるに同性婚が認められた場合、同性による性交渉がまともな行為だと認めることになる。異性婚とおなじく性交渉の途絶が離婚原因にもなるのはずだ。まさにこうした判断が行われることこそが同性婚を認めるということだし、過去の判例との矛盾もなくなり内閣法制局長官もほっと胸をなでおろす。
つまり同性婚を我々が認めるとき、それは同性婚は同性による性交渉を行うことがまともな行為ですと認める社会に変わるということになる。
となれば義務教育で行われている性教育の資料にも同性婚が現れるのだろう。
同性婚の場合、妊娠は出来ませんがあんな行為やこんな行為をします。人によっては体を改造してこういうことになります。全てこれはまともな人間の行為として人権で認められています。
と子供に教える社会の到来だ。お父さんお母さん、ばんざい! 日本は変わりました!
日本社会がこんなにぐだぐだに崩れ、もとい、成熟したなら同性婚が認められるのだろうし、それまでは渋谷区のような小手先の施策を、人気取りをしたい首長がトライ・アンド・エラーを繰り返すのかもしれない。