前回発達障害のことを書いたけど…

 

実をいうと私の最初の夫も2番目の夫も発達障害であった…。

 

最初の夫はガチのADHD+神経症。部屋が片付けられない、ゴミは捨てられない、

掃除という概念はなし、全て無くすので同じものを何個も買って同じ物でさらに

部屋が溢れる…埃だらけ、ゴミ屋敷の住人だった

 

発達障害特有の芸術に関する才能が抜き出ていたため、Macを使った

映像編集の先駆けだったので、年収だけはやたら良い時期があって、

何を買っても(例えば車をキャッシュで一括購入とか)できる収入が当時はあった。

まぁ、それ以降は時代に追いつけずに落ちぶれてしまったけど。

 

2番目の夫は明らかなASDだった。それに加えて脳腫瘍だったし。

2番目の夫はとにかく料理の才能だけは天才的だったけど、それをお金を稼ぐ方に

持って行けず、人と一応会話はできるけど本当は人がダメ、人混みで過呼吸になる

相手には自分のことを察してほしいけど、自分は相手を察することができないのが

結構致命的だった。それで私が永遠の子育てが嫌になって離婚したんだけど。

 

発達障害の子どもを持つ親、発達障害のパートナーを持つ人。

 

発達障害はその人の特性を理解し、周りがサポートしたり、その人に合う関わりが

大切で環境を整えていくのが大切みたいなこと言われるけど。

私は前のパートナーが2人とも発達だったし、相手にお金の感覚がなかったり

私がお金を出して当たり前、察してくれて当たり前が長く続いたので

本当に自分が疲れてしまった経過がある。

 

もしこれが自分の子どもだったら母性とか働いてちょっと違ったのかもしれない。

もともと赤の他人で、私自身もつらくなってきて、私自身も守れなくなった時

もうお別れしようということになった。私が私を守るためにも。

相手に期待して裏切られる、それ以前に気づかないのは当たり前。

それを許せるほど私もできた人間ではないので。

 

発達障害ともし自分が思うことがあるのであれば(思わないガチ勢はまた別)

できれば他人や本当に自分のことを思ってくれる人を蔑ろにしないで欲しい。

あなたは発達かもしれないけど、それを取り巻く人たちは実はまともなのだ。

世界の中心は発達障害(自分)と思うのであれば、パートナーや一番

近しい人が犠牲になるので、遠くの他人や血のつながらない社会資源を

頼ってほしい。過度に甘えずに。 

 

そんな私も実は自分があまり正常だと思っていないというか、

正常な人間だと思っている方が間違っているんじゃないかと思っている。

一応社会人だから接遇とか、まぁ、電話対応とか人とコミュニケーション

取るとかできているとは思っているけど…。それも疑わしいから

少しだけ日常生活は、よっぽど仲のいい友達じゃないと離れているかもな。

自分が迷惑かけないために…(たまにかけている友達よごめん)