今年45歳になるが、私は小学校、中学校とほとんど
学校に行っていない。
今や不登校の子なんてそこら辺にゴロゴロいるけど
当時は立派に「登校拒否児」という名称を付けられ
ワタクシは不登校の最先端を昔から走っていたワケです。
今後私は看護師として不登校やひきこもり、
適応障害などで学校会社に行けなくなった人たちの
支援をしていきたいと考えていて、それは自分も
経験があるからそう思っていたりもするんだけど。
不登校に関しては各家庭の事情もあるので今現在の
私では何とも言えないですが。
でも現役不登校な人たちにお伝えしたいのは、
不登校最先端でも一応看護師にはなれたし、
回り道しても抜け道はあるよってお話をここでひとつ。
私の不登校原因として小学校1年の時に親が離婚したこと。
転校して苗字が変わったり昔はまだひとり親も
そんなに受け入れられていなかったしなぁ、
学校や集団生活になじめなかったのは昔からだから
それでいじめられたり先生も味方にならず、先生も
一緒に悪口に加担したり、「あなたのその性格が悪い」
とクラスメート全員の前で言われたりして。
小学校4年生くらいから最初に身体症状が出て
学校を休むことが多くなって。
お腹が痛いとか吐き気がするとか眩暈がするとか。
でもどこの病院に行っても異常はなかったので
当時は心療内科なんてなくて「精神科」に連れていかれた。
祖母は「家族から精神科に行くやつが出るなんて」と
怒り狂っていたし、母親は仕事しないと子どもを
育てられないし、今ほど受け皿がたくさんある時代じゃ
なかったからねぇ。
祖母も母も「学校へ行け」だったし、学校に居場所はないし
学校サボってどこか行くって知恵もない小学生だから
結局嫌でも学校に行くか、祖母にランドセルごと外に
放り投げられながらも抵抗して学校に行かないか
そんな感じだったよね~。
小学校、中学校2年生まではそんな感じで学校も休みがち
だったけど、中学2年の最後辺りに友達の母親から
「レイちゃんて、あまり学校に行っていないんでしょ?
じゃあ、高校も行けないね?」
とめっちゃ笑顔で言われて(今考えると嫌味だが)
えぇ~、それは困るなぁと思って中学校3年生だけ真面目に
学校に通ったんだよね。そこの所だけ負けず嫌いだったのか
親が高学歴だったから、高校に行けないってことは人生の
終わりだと自分が考えたのか、でも学校に行き始めたきっかけは
その一言だったとしか思い出せない。
中学1年~2年の不登校の時は、ラジオで好きなDJが英語
ペラペラで、私もこの人みたいになりたいってNHKラジオの
基礎英語を毎日聴いていた。暇だったし、こういう人になりたい
みたいな目的があったから多分続けられたんだよね。
そのお陰か、特に勉強はしていないけど英語の発音だけが
めちゃめちゃ良くなって、当時の英語の先生が県の英語のスピーチ
コンテストに出てみないかと誘ってくれてまさかの3位入賞。
それでなんとか推薦をもらって埼玉県で一番新しい公立高校
(ようは偏差値低い)の普通科英語コースに推薦で入れた。
というのが高校入学までの流れ。
なぜこんなことを書こうと思ったのかというと、
今キャリアコンサルタントの授業で自分史と
ライフライン・チャートを作成しなくてはならなくて
小学校~高校~社会人時代のことを思い出して
書かないといけなくなったから。
大人になるとそんなこと、特に40代の私なんて
全部忘れているか記憶ごと闇に葬り去っていることが多くて
まぁ、今更掘り下げたら出て来るわ出て来るわ。
ミニマリストだから卒業アルバムとか過去の写真は
全部捨てているし、でも記憶って結構鮮明に脳裏にいきなり
浮かんできたりもする。
とりあえずノートみたいな感じでここに一旦記しておく。
明日は高校~大学中退まで編。