よくSNSでマーケテイングとかビジネスとかやっている人ってさ。

 

すっごい大袈裟な、または盛っているマイストーリー語るの

好きだよねって思う。

 

正直そんな文字数多くて誰が読むかよって毎回思っている。

ってそもそも読んでいない。

 

「これだけお金に苦労しました」的なのがすごく多い。

冷静に考えればみんな大なり小なり苦労してきているし

別に他人は他人、自分で境界線を引いていればそんなの

「あっそ」で響かないのである。

 

SNSやブログ集客には運営者のマイストーリーに

引き込まれる必要があるよのよね。自分に重ねるというか。

 

私が最近読んだ自叙伝的な本で、この人のマイストーリー

圧巻だなと思った人。

 

 

 

 

第二次世界大戦中にナチスの強制集収容所に収監された精神科医

V.E.フランクルの「夜と霧」という本。

 

収容されたユダヤ人は名前も持ち物も全て奪われ、

家族とも引き裂かれ、空腹と寒さの中強制労働に駆り出され、

使いものにならなくなったらガス室で

人間の尊厳などない中で死んでいく。

 

偶然が重なり、フランクルは収容所の中で生き延び終戦を迎えた。

その後精神科医として、収容所の状況・日々を淡々と分析し冷静に

極限状態の中人間はどのような行動や思考になるか、

最後まで人間らしさを失わない生き方とか何か、

人の尊厳とは何か、そして人を生きさせる理由は何かなどを

書いて出版したものである。

 

第二次世界大戦は1939年に勃発していて、その年から今まで

85年しか経っていない。

病院でも高齢の患者さんは未だに空襲の話をするし、

玉音放送生放送で聴いていた人だって残っているのだ。

 

フランクルはユングやフロイトに実際教えてもらっていた

から心理学的な研究だって地球が生まれてからまだまだ

最近のことだし、ここ数年の出来事、PCが生産され、

ポケベル・PHS・携帯・スマホなんて歴史から見たらまだ

赤ちゃんレベル(妊娠3~4か月目?)くらいの勢いなのだ。

 

世界は急速に発達し、発達しすぎた恩恵に与って

今日も生きられている私たちは幸せだし、日本に生まれただけで

もうすでに恵まれているんだと思う。

 

でも逆に溢れる情報の中で自分を見失ってしまっている人も多い。

実際に私もそうだったけど、この休職期間中にキャリアカウンセリング

だったり、他の人と話したりすることによって、今後は本当に

自分のやりたかったことをやって生きていこうと思えた瞬間に

周りのことなんて、元夫のことなんてどうでもよくなった。

 

私には私のストーリーがあるけど別に人に知ってもらおうとも

思わないし、聞かれたら話すこともあるかもしれないけど、

わざわざ言う事じゃないなって。そして人ってそんなあなたの

マイストーリーにそんなに興味もないし、話を聴くふりなら

誰でもできるということ。対話するのは他人じゃない、自分自身とだ。

 

他人と自分を重ねてはいけない。共感と同情は違う。

慮ってもいいが、「その時」だけに留まり、必ず最後は感情を

自分自身に持ってくる。私は誰でもなく私なんだもん。