年末から体調がよくない日が続いた。
毎年毎年「来年は良くなる」「来年は良い年に」基本よくなった
試しはないか、良くなったとしても自分で壊しているかのどっちかである。
年始はいきなりの地震だったり、飛行機炎上だったり
年明け早々これだけやらかす年もないだろう。
地震の被害も最初のうちはこれだけあるなんて予想もしなかった。
そんな私は31日に元夫の母親が急に亡くなったという話を聴かされる。
義母は19日に風呂場の脱衣所で倒れ、脳動脈瘤の破裂をしたらしく
(相変わらず元夫は詳細を聴いていない)手遅れとのことで
その後意識が戻らず12/24に亡くなったとのこと。
元夫的に1/1の明けましておめでとうな雰囲気の中で言いだしにくい
と思って年末ぎりぎりに私にラインしてきたんだろうけど。
えぇ~、まぁ、もっと早く言ってよね…。
元夫は身内には助けてもらって当たり前と思っているけど
それ以外の人はあまり信用しないというか、相談しないというか。
強がりというかプライドが高いというか、みんな自分のことは
察してくれて当たり前って思っていて、いつも本当に必要な連絡とか
助けて欲しいとかを周りに言えないタイプ(察してもらえると思っている)
まぁ、もうそれは置いておいて。
義父はパーキンソンでADLも下がってきて難聴もあり認知症が進んで。
難聴なのに補聴器は恥ずかしいからつけないとか訳わからんし。
こっちからすれば「周りに気を遣わせんなよ」なんだけど、
なんだろうね?自分が困っていたら絶対に周りが察して助けてくれると
思っている自信や根拠どこからくるんだよ?親子して。
元夫もS県の店を畳んで10月には東北に帰るつもりだったらしいけど、
今回義母の急逝により予定が大幅に狂うことになり。
S県の家も引き払い、お店も畳んで来月再来月にはもう東北に帰るそうだ。
義父の世話や通院、仕事のほとんどない地域。
義父は自分の建てた家から離れたくなくて施設入所とか考えらえないそう。
こうやって中年は毒親の犠牲になっていくんだよなぁっていつも思う。
独身で子どものいない子が親の面倒を看て、親はいいけど、子どもは
仕事を辞めたりセーブしたり収入も減って、時間もお金も親に
取られて、親が死んで残されても仕事にも就けない、伴侶もいない、
親の残した負の遺産と孤独と貧困を抱えて一生を終えていくのだ。
元夫がS県を離れたら、私の中でも一区切りがつくだろうなって思う。
S県のお店での思い出や、S県で過ごした元夫との日々、
自営業の夫を無給で手伝うのが当たり前だったあの田舎の風習。
S県じゃないと、S市じゃないとって元夫がこだわって
私も引き戻されたあの県と市と。私もこれで行く理由も一切なくなるし、
店もなくなるので。元夫の何かに縛られることなく生きていけるって
ちょっと前向きになった日。