夫が脳腫瘍(第4脳室脈絡叢乳頭腫)の手術をして6月で術後2年になる。

 

まだイーケプラは切れないし、3か月に1回の受診は続いている。

 

夫の主治医、教授様は相変わらず不愛想というか、2年経ってやっと普通に会話できるようになったいうか、

お互い緊張しないというか、ちょっと気楽に会えるようになったというか…もやっと築けてきた信頼関係。

 

教授様の不愛想な感じがあまり好きではなかったけど、当時は私も必死で周り見えていなかったし、

そんな教授様の態度を受け入れるキャパもなかったし。

 

診察室に入っていく教授様の患者を見て、何が良くてこの人たち教授様のもとに通っているんだって

思ったこともあったんだけど、みんな経過が長かったりして、ずっと通っていて、何年もかけて信頼関係を

築いて、その結果あの不愛想な教授のもとに時間や交通費かけて通ってくるんだろうな。

 

と思えるようになった自分も成長したはずだ、きっと。

 

しばらくブログを見ずに忙しい生活を送っていたら、闘病ブログで繋がったり、読者登録していた人が

亡くなっていたりして、春は結構寂しい。毎年寂しい。夫の脳腫瘍が発覚した4月がまたくると思うと憂鬱だ。

 

先日とある人のピアノ演奏を聴いて、ちょうど夫の病気が発覚した時に聴いた音色だったから

本当にあの時はつらかったな、って本気で涙が出てきた。

とりあえず再発もなく、周りが気が付かない高次脳機能障害のようなものは多少残っている夫だけど

夫婦で乗り越えられた。夫が入院している間に愛犬を3か月近く人に預けてしまって、夫の退院後

今度は愛犬が悪性リンパ腫になってしまって、無治療を選択しても1年近く生きてくれて去年の11月に

自宅でお看取り。

 

生きているだけでありがたい、幸せだと。家族や大切な人が側にいて、生活できることがどんなに有難いか

感じながら生きていた。

 

でもその時を過ぎてしまったら日常生活に戻って、仕事のことや、時間のことや、生活のことや人間関係で

イラつく自分もいて。あの時は本当に死ぬこと以外かすり傷だって思っていたんだけど、人間って流されやすい

生き物(私だけですかね?)って思ってみたり。

 

ここのところ仕事でお看取りも続いている。

 

看護師は気安く「なんで自宅で家族が看ないの?」とか「お見舞いに来ているんだか家族がやればいいのに」

とか、言う人が結構いるんですよね。これは患者家族代表としてはっきり言わせてもらうけど、そんな看護師、

医療従事者は最低の底だ。

 

私は自分が患者家族だったから家族の大変さはわかる気がする。

患者家族の生活もあるし、経済活動なしに医療費を払えないし、仕事もしながら、病院にも顔を出しながらって

患者家族の疲労感はとてつもない。みんなギリギリで頑張っているんだよ。

 

だから私は患者家族のケアにも気を遣う。あの日の自分を見ているようで本当につらい。

 

「奥さんは体調大丈夫ですか」とか、ターミナルで付き添いをどうしようか迷う家族に「じゃあ、今日は付き添い

ましょうか?」って背中を押してみたり、疲れた家族に「何かあったらすぐに連絡しますから少し休んできてください」

と言ってみたり。

 

ベッドサイドでもう何もできない患者さんの側は絶対に家族に譲って、「耳は聞こえていますから話しかけて

あげてください」って。特に熟年夫婦とか、息子とか手を握ったり、想いを伝えるのが苦手な人もいるからちゃんと

ベッドサイドに椅子を置いてお別れの時間を作ってみたり。

 

死んでしまったらもう想いや感謝は伝えられない。やっぱり生きているうちに、大切な人には、家族には

大切だよって伝えよう。友達は別に多くなくて構わないから、でも一生大切にできる親友がいたらちゃんと

会いに行こう。喧嘩したり、イライラしたり、なんで想いが伝わらないのかって悔しい思いをしても。

目の前にいる人がいてだからこそ、そう思えるんだよね。

 

あぁ、私明日私誕生日。39歳。Thank You (笑) 希望は出していなかったけど奇跡的に休みだった。